「平井って土地は、ほったらかしにされてきたから、いい街なのにさ、見つかっちまったなぁ」
老人は再びプラウドタワー平井を見上げた。
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「でもね、ほらあっち」
男性は体の向きをぐるりと戻し、顎先で指し示すように、駅舎の脇にあるバス停を見やった。
「あのバス停からさ、江戸川競艇場への無料バスが出るんだ。駅前にこんなのがある街なんだ。いいだろう(笑)。平井の魅力ってこういうところなんだよ」
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平井駅の北口を出ると、正面には2024年の11月に完成したプラウドタワー平井の威容がうかがえる。そのまま目線を右に移せば、競艇場行きのバス停だ。レースが開催される日ともなれば、ここに行列ができる。「禁煙」の文字がでかでかと貼られたその姿はなんとも味わいがある。
都内有数の「三業地」だった平井
料理屋や芸妓屋、待合茶屋などの業種が集まる地域をかつては「三業地」といった。平井は都内でも名の知れた三業地だった。大人の遊興地として栄えていたわけだ。
『花街の引力 東京の三業地、赤線跡を歩く』(三浦展)によれば、平井には第二次世界大戦前の1920年代初頭には『寿亭』『田中亭』『演芸倶楽部』『丸参亭』などの寄席があり、映画館の『小松川電気館』も人気だった。
明治、大正の時代には、「文明開化の夜が明けりゃ 平井田んぼの蛙の子 三味(しゃみ)の音色に踊りだす 天下晴れての太平町 平井田んぼに火がついた」と歌われたらしい。芸者衆も多くいたのだろう。
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