23区なのに「陸の孤島」都民も知らない街の実態 ほったらかしにされてきた土地「江戸川区平井」

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「平井って土地は、ほったらかしにされてきたから、いい街なのにさ、見つかっちまったなぁ」

老人は再びプラウドタワー平井を見上げた。

プラウドタワー平井
2024年11月竣工、平井駅前のプラウドタワー平井(筆者撮影)

「でもね、ほらあっち」

男性は体の向きをぐるりと戻し、顎先で指し示すように、駅舎の脇にあるバス停を見やった。

「あのバス停からさ、江戸川競艇場への無料バスが出るんだ。駅前にこんなのがある街なんだ。いいだろう(笑)。平井の魅力ってこういうところなんだよ」

停留所
高架下にあるボートレース場への無料バスの停留所(筆者撮影)

平井駅の北口を出ると、正面には2024年の11月に完成したプラウドタワー平井の威容がうかがえる。そのまま目線を右に移せば、競艇場行きのバス停だ。レースが開催される日ともなれば、ここに行列ができる。「禁煙」の文字がでかでかと貼られたその姿はなんとも味わいがある。

都内有数の「三業地」だった平井

料理屋や芸妓屋、待合茶屋などの業種が集まる地域をかつては「三業地」といった。平井は都内でも名の知れた三業地だった。大人の遊興地として栄えていたわけだ。

『花街の引力 東京の三業地、赤線跡を歩く』(三浦展)によれば、平井には第二次世界大戦前の1920年代初頭には『寿亭』『田中亭』『演芸倶楽部』『丸参亭』などの寄席があり、映画館の『小松川電気館』も人気だった。

明治、大正の時代には、「文明開化の夜が明けりゃ 平井田んぼの蛙の子 三味(しゃみ)の音色に踊りだす 天下晴れての太平町 平井田んぼに火がついた」と歌われたらしい。芸者衆も多くいたのだろう。

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