「勉強することは格好悪いことだ」と思っていて周囲に相談もできなかったため、高校3年生になってからも成績は上がらず、そのままセンター試験を受けたよしのぶさんは、試験の結果が悪かったことだけは覚えているそうです。
「偏差値は覚えていないのですが、40くらいだったんじゃないかなと思います。今の偏差値でいける大学はどこもないから、もうすでに浪人しようと思っていました。天より高いプライドに見合う大学に行きたいと考えていました」
3年間続く宅浪のスタート
こうして浪人を決意したよしのぶさん。その理由は「自分はこんなものではないという思いがあった」と語ります。
「すごい大学ならどこでもよかったんです。とにかく自分はもっとできるから、周囲を見返してやりたいという気持ちがありました。予備校に通うことも考えていましたが、自分には厳しく管理される予備校に行くのは無理だと甘える気持ちがあって、宅浪を選択しました」
しかし、のちに3年にも及ぶことになるこの自宅浪人という決断は、「失敗だった」と振り返ります。
浪人時期に志望大学はコロコロ変わったそうですが、生き物が好きだから生き物の研究者になりたいと思いはじめ、旧帝大の農学部を志望した1浪目のよしのぶさん。最初の1年は、「暗記系の科目でわかりやすく点数が上がった」そうです。
その結果、1浪目のセンター試験では、前年度から飛躍的に成績を上昇させ、5教科7科目で75%に達しました。
「英単語帳を一冊覚え切ったら、一気に英語の成績が上がったんです。それがこの1年の大きな成功体験でした。現代文と世界史だけは高校時代から得意だったのですが、ほかの苦手科目も全体的に成績がよくなった記憶がありますね」
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しかし、この年も旧帝大の農学部を前期試験で受験するも不合格。2浪を決意することになります。
2浪に突入したよしのぶさんは、「この一年がいちばん焦った」と当時を振り返ります。
「成人式には恥ずかしくて顔を出せませんでした。成績は少し伸びたのですが、この年も前年と同じ大学を受けて落ちたので3浪に突入しました」
そして、3浪にもなると、ついにセンター試験の5教科7科目で85%に到達しました。
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