蔦屋重三郎も注目「狂歌本」流行の裏の熾烈な争い 作風の違いで唐衣橘洲と四方赤良の対立も
その計画に、橘洲は元木網・蛙面坊懸水らを誘いますが、そこに同門・赤良の名はありませんでした。それどころか橘洲が刊行した『狂歌若葉集』のなかには「赤良のぬし、この比、ざれ哥(歌)に、すさ(荒)めがちなるに」「ざれ歌に秋の紅葉のあから(赤良)より はなも高尾のみねの雲輔」という赤良を非難する文言・狂歌が掲載されているのです。
橘洲と赤良の対立の背景
同門というのはライバル関係になりやすいものですが、橘洲は「近世初期の貴族の風流に憧れ」「近世初期の歌風を理想」とし、一方の赤良は「現代的な狂歌」を目指したと言われています。
そうした作風の違いが、両者の「対立」を生んだのでしょう。また、こうした対立や軋轢が、新たな文化を創造する際に、大きな影響を与えることもあったのではないでしょうか。
橘洲が刊行した『狂歌若葉集』は、当時の狂歌人をメインとして、歌人別に並べるという編集スタイルでした。赤良の『万載狂歌集』はそうではなく、古来の名狂歌も含まれ、歌の内容別に狂歌が配列されました(当時の歌人の狂歌も掲載)。文芸界や歌舞伎・芸能・遊里など多彩な人々の狂歌が収載されました。
皆さんは、『狂歌若葉集』と『万載狂歌集』、どちらを読んでみたいと思いましたか。
ちなみに、今の時代において、狂歌史のうえで大きな意義を持つと言われているのは赤良の『万載狂歌集』のほうです。「天明調狂歌の代表的な撰集で、狂歌史上重要な意義を持つ」と評されています。人気を得た『万載狂歌集』。「戦」に敗れた橘洲は、一時、狂歌の一線から身を退くことになるのです。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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