勤勉な日本人が「低い生産性」に甘んじてきた必然 『ホワイトカラー消滅』冨山和彦氏に聞く・後編
――国を組み替えていく過程で「付加価値労働生産性」が重要だという話をしています。
付加価値労働生産性というのはわれわれが1時間当たりどれだけの付加価値を稼げるかを示す指標だ。GDPは付加価値の総計だから、付加価値労働生産性に総労働時間をかけたものということになる。
経済は循環系。生産、投資、消費が循環する。それが拡大再生産することが経済成長だ。ということは、循環のどこかに問題があると、それによって全体が規定されてしまう。今、日本における最大のリスク要因は労働供給にある。生産面の問題だ。
需給ギャップという発想は古い。今は、500室あるホテルが300室しか稼働していないとき、原因は人手不足である場合が多い。起きているのは完全に労働供給による制約なわけだから、付加価値労働生産性を上げ経済を伸ばすことは、皆を幸福にする。
とにかく、貧すれば鈍する。なんだかんだ言って、給料が安いとしんどい。やりがいだけで頑張れというのはやりがい搾取だ。皆が年収1億円を目指す必要はないし、それは無理だが、それぞれの人なりに自分の仕事に対する幸福感、充実感があって、給料からもそれなりに幸福感を満たせるようになっていないと、世の中全体としてうまくいかない。そういう脈絡で、今、経済指標でいちばん大事なのは付加価値労働生産性だ。
最低賃金の議論を聞いていると、まだ人手が余っているという発想から抜け切れていない。「最低賃金を上げると雇用に響くから反対」というが、実際には響かない。マクロ的に労働受給は逼迫しているのだから。
「デフレと人手余り」から頭が切り替わっていない
――「中小企業が潰れたら、地域の社会インフラ機能がなくなって地域がもたなくなる」という主張もあります。
われわれ自身が過疎地でバス事業をやっているのでわかるが、路線バスの廃線は会社が潰れて起きているわけではない。運転手がいなくなって起きているのだ。なぜ運転手がいなくなるかというと、給料が安いから。順番が逆だ。
デフレと人手余りで30年間やってきたから、頭の中がまだ切り替えられていない。経営者も平成脳のままだ。「最低賃金を上げられちゃうと、うちの会社はもちません」というが、それはつまり、経営が苦しいときには低賃金雇用とコストダウンで生き残れると思い込んでいるということ。でも今は、そんな平成モデルでは生き残れない。
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