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「大蔵大臣が声明を」首相、堪忍袋の緒が切れる 宮澤喜一と公的資金⑤

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景気対策緊急協議の前に打ち会わせる宮澤首相(右)と羽田蔵相(写真:共同通信)

1992年8月。公的資金に傾斜する首相の宮澤喜一に対し、大蔵省(現財務省)銀行局は金融機関の自助努力による解決を柱とする「寺村ドクトリン」を打ち立てる。双方の案には大きな開きがあり、“正面衝突”が避けられない情勢となっていた。

止まらぬ株価下落に、銀行局長の寺村信行も頭を抱えていた。公的資金を当面導入しないという局の方針は固まっているが、日経平均株価は1万5000円割れ寸前となり、不安が広がっていた。

「ここは何かパッケージにして、メッセージを出したほうがいい」

前任局長の土田正顕からそう助言された寺村は、8月11日から1週間夏休みを取ったことにし、局長室にこもって対策作りを指揮する。一方、宮澤から「contingency plan(緊急対策)」を求められた大臣官房も証券局に対し、検討の取りまとめを指示した。

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