がんになったIT経営者が直面した「葛藤と現実」 2度の治療で「身長176センチ、体重46キロ」に

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売却先候補との交渉と並行して、幹部社員の説得も続けました。当時、私はすでに会長に退いて、社長は後進に譲っていましたが、その社長をはじめ経営陣からすれば、経営体制が変わり上司が変わるM&Aには基本的に反対です。雇用が維持されるとは言え、自分たちの立場や仕事が変わるかもしれないと不安に思う気持ちもよく分かります。

彼らからは、自分たち経営陣による買収、つまりMBO(マネジメントバイアウト)の可能性を検討したいという申し出もありました。私は資金面や体制面等から現実的には難しいのではないかと思いながらも、彼らに対しては、社外へのM&Aと彼ら経営陣へのMBOの両方の売却条件を並べて比較し、最終的に判断することを伝えました。

よい売却先候補が見つかったとは言え、経営陣の反発とMBOの動きもあり、契約が締結されるまでは、不安が尽きませんでした。

交渉がまとまらなかったらどうしようという強い不安がありました。売却条件が折り合わなかったらどうするのか。デューデリジェンス(会社を買収する際にその対象企業の経営実態を調査すること)や社員面談の結果、相手先がM&Aを見送ると通知してきたらどうするのか。リスクは数え上げればたくさんあります。M&Aに反対だった役員の突然の退職など、売却交渉に影響しかねない出来事もありました。

しかし、売却交渉が頓挫すれば、自分が経営者を続けられなくなった以上、オーシャンブリッジと社員の将来、そして自分たち家族の将来も危ぶまれます。そうした不安で、両足が地中深く、奥の方に強く引っ張り込まれるような感覚が常にありました。いつも強い不安に苛まれていました。

人生最大の仕事をやり遂げ、最大の危機が訪れる

私の不安をよそに、M&Aの売却条件の最終交渉と契約書の修正は着実に進んでいきます。それまでの過程で経営陣からは具体的な買収計画の提示がなく、MBOは検討から外れていました。そして2017年1月31日、無事に最終契約書が締結されたのです。

『5度のがんを生き延びる技術 がん闘病はメンタルが9割』(幻冬舎)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

大きな達成感と、それ以上に大きな安堵感があふれてきました。会社、社員、自分、家族。みんなの未来はこれで大丈夫だと思いました。

16年前の創業当時を思い出し、会社は設立するよりも売却するほうが難しいと思いました。その意味で、オーシャンブリッジの売却は、自分が人生においてやり遂げた一番大きな仕事だったと考えています。

そして、そのわずか3週間後、2月下旬に3度目のがんである急性骨髄性白血病が見つかったのです。

「どうしてこのタイミングで……」とやるせない思いがあふれました。

あまりにも非情すぎるのではないか。それまで2回のがん告知では感じたことのない感情でした。

高山 知朗 オーシャンブリッジ ファウンダー

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たかやま のりあき / Noriaki Takayama

1971年、長野県生まれ。早稲田大学卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)などを経て、2001年にITベンチャー企業の株式会社オーシャンブリッジを設立。11年に脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術を受ける。13年に悪性リンパ腫を発症。抗がん剤治療を受け寛解に至るが、体力面の不安から17年に会社をM&Aで売却。直後に急性骨髄性白血病を発症し、臍帯血移植を受けて寛解に至る。20年に大腸がん、24年に肺がんの手術を受け、現在は自宅で元気に暮らす。闘病ブログががん患者から絶大な人気を誇る。著書に『5度のがんを生き延びる技術 がん闘病はメンタルが9割』『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』(ともに幻冬舎)。

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