「継続的な改善」という表現は、改善の生じ方を正確に描写していないと私は思っている。改善は何度も生まれるものであり、積み重ねていくものだ。
改善のプロセスは、斜面を上がるというより階段を登るイメージが近い。
改善(青ワーク)の時間は、テストや実験(赤ワーク)で現実を知り、結果を観察したあとに置くことにしよう。
生産者から改善者にシフトしよう
私は「継続的な改善」を求めるが故に、自分のチームの邪魔をしたことがある。あなたにも同じ経験があるかもしれない。
そうした態度をとる人は、「いいアイデアを囁く妖精」と呼ばれる。メンバーが作業しているところに不意に現れて、詳しい理由も説明せずに改善を提案するからだ。
私が新しいアイデアをチームに話したところで、彼らは私のようにはワクワクせず、私のアイデアと当初の計画のあいだで板挟みになっていたようだった。
思いついたアイデアや意見はすべて、次の青ワークの時間までとっておくこと。
やり終えた赤ワークについて労い、反省するなかで、ほかのアイデアとともにチームで一緒に検討し、どのアイデアを取り入れるかをみなに決めてもらうといい。
赤ワークにとりかかる時点で、改善を行う時間をスケジュールに組み込むようにすれば、思いついたアイデアを、発表に適したタイミングまでとっておく秩序が生まれる。
次の青ワークの時間を事前に計画するという発想は「時計を支配」することの一環であり、その時間がくるまでの作業に責任感を持って取り組むためのものである。
改善は昔から行われてきたが、昔といまでは大きく変わった。
産業革命時代は、階級によって青ワーカー(上司)と赤ワーカー(部下)に分かれ、改善の責任は青ワーカーが担っていた。
青ワーカーが赤ワーカーを観察し、判断を下すのだ。赤ワーカーは自己評価を求められなかったので、内省による心理的な混乱は生じなかった。
いまは、上司、部下にかかわらず、誰もが赤ワークと青ワークの両方を行う必要がある。誰もが赤ワーカーと青ワーカーの両方になるのだ。
それを実現するには、生産者という役割から脱し、改善者として客観的な目で生産を振り返ることのできる能力が必要となる。
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