尾上右近「カレー」と「歌舞伎」をつなぐ仕事観 年間360食「無類のカレー好き」で独自の存在感
「僕らの稼業って、真剣に長年やっていると人間国宝とかになれるじゃないですか。
でも、歌舞伎俳優国宝ではなく『人間国宝』、つまり人としての国の宝。役者である前に、人としてのことで評価されている。『芸は人なり』だと思うんです。
歌舞伎のプロフェッショナルになる前に、ある程度まともで、面白い人であるべきだと思うので、人としての部分にこだわりはあるかもしれない」
それは、歌舞伎俳優と清元という二刀流として舞台に立ち続けるがゆえの、右近さんの仕事観にもつながっている。
「清元をやらせてもらっているのもそうですが、いろんなことをやって、『こういうカテゴリーの人』という括りになりたくないというのはありますね。
根を張りたくない。根無し草万歳、みたいな。
根無し草って、パッとたどり着いたところが自分の居場所で、そこで生い茂るんだけど、またどこかに飛んでいって……。毎回そんな感じなのか僕には合ってる。
草に根が生えちゃたら、踏んづけられたらそれで終わってしまうけれど、根が生えてなかったら、すぐ逃げられるじゃないですか。そのほうがいい」
尾上右近を形づくるもの
根無し草といいつつ、尾上右近を形づくる根はすべてつながっている。
「自分の性格と、これからの歌舞伎界をどうしていくかと考えたときの合致性は高いと信じてます。どっちかに偏っちゃいけないという時代でもあると思う。
でも、どちらも中途半端になったら、役には立てないというのもあるし。こだわりはあるけれど、それに固執しないという感覚がないといけないと思う」
すべて歌舞伎につながっているとはいえ、清元もカレーも、すべてが尾上右近を形づくるうえでは欠かせない要素ばかり。
「要は、カレーと一緒。全部かき混ぜたいということです」
曾祖父は六代目尾上菊五郎、母方の祖父には俳優 鶴田浩二。
7歳で歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で本名の岡村研佑で初舞台。
七代目尾上菊五郎のもとで修業を積み、2005年に、新橋演舞場『人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)』のお久と『喜撰(きせん)』の所化で、二代目尾上右近を襲名。
2018年1月、清元栄寿太夫(えいじゅだゆう)を襲名。
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