みんな凸凹で当たり前、目指すは"一流のチョコ" 久遠チョコレートは社会貢献ブランドではない
3年ほど前、ある百貨店のバレンタイン催事に出店した際、会場を訪れた20代の女性客から手紙をもらった。たまたま僕たちのチョコレートを試食して気に入ったので購入し、その後、パッケージに添えられたカードを見て、多様な人びとが働いているブランドだと知ったそうだ。
女性は幼い頃からの願いを手紙にしたため、僕に手渡そうと再び会場に足を運んでくれていた。聞けば女性の妹に知的障がいがあり、いつも母親が付きっきり。障がいがある人の働く場が少なく、受け入れ先探しにも奔走していたという。
そんな背中を見てきたのだろう。「お母さんが苦労しなくていい社会になるといいな」。手紙にはそう書いてあった。
もっと社会に大きな器があれば、どれほどの親子が今とは違う時間を過ごせるだろうか。大勢の人が行き交う会場で、しばらく互いの思いを話したあと、その女性の口にしたひと言が重く心に残ったのだ。
「一流になってください。応援しています」
一流ブランドを目指すは無謀か
一流ブランドを目指す。
これを無謀な考えだと思うだろうか。僕は決してそうは思わない。久遠チョコレートを通じて、多くの「一流」と触れるうちに、その思いは強くなっている。
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