銀行界がこの話で持ち切りになった菅義偉首相の「地銀の数」発言。菅首相の信念である「自助」の精神を地方銀行に求めているのではとみる向きが多い。
第1のポイントは、菅首相が就任に際し意見を聞いた親しい民間人の一人に、小泉純一郎内閣で特命金融担当相を務めた竹中平蔵氏がいたことだ。バブル崩壊後、大手銀行の不良債権処理の最終局面(2002〜03年)を指揮した竹中氏は、新自由主義的な「自立」思想の人だ。
日本のバブルは1990年代初めには崩壊したが、03年のりそな銀行への公的資金注入まで、不良債権問題の終結には約10年を要した。90年代には時価会計ではなかったこと、企業や銀行の破綻法制が未整備だったことなど、制度や行政側の遅れに加え、処理に税金を使うことへの国民の反発もあった。
不良債権問題の原因はよく知られている。日本の金融機関は土地を担保に融資する慣行が根強かったところへ、85年のプラザ合意後の円高不況に対応した低金利政策で資産バブルが発生。地価が上昇を続け、野放図な融資が可能になった。
日本では大企業製造業の牽引する高度成長がすでに終焉。新興国に追われる中、大企業の資金需要は減少するとともに、その調達先も機動的でコストの安い海外資本市場に移っていった。邦銀はこうした構造変化に対応すべきと早くから指摘されながら、安易に稼げる不動産関連融資に傾斜。事業の評価能力を欠いていたことも大きかった。
不良債権の山を築いた大手銀行はその処理を行う過程で、国際市場、格付け会社などからは資本不足となることを指摘され、竹中氏は公的資金の注入と引き換えに追い込む形で再編を進めた。その強引な手法には批判もあったが、この後、大手行は「護送船団方式」を脱して、自立経営へ移行していったといえる。
横並び、遅れる対応
一方、地銀は、大手行の別働体だったり、建設・不動産関連に頼っていたりした一部は整理されたものの、多くは財務の健全性を維持した。
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