国土交通副大臣に就任してすぐに西松遙社長(当時)に再建案を見せてもらったが、これではダメだと思った。私はそのとき、口にはしなかったが法的整理しかないと思った。小さな商店などがリーマン後にばんばん倒産する中で、なぜ大きなところは政府が救うのか。そこはJALと持ちつ持たれつ延命させてきた銀行を含めステークホルダー全員が痛みを分かち合い、公共性がある会社だから救ってくださいと訴えて国民の理解を得るしかなかった。
銀行団vs.国交省
銀行団とは何回も交渉した。その会議が最もしんどかった。銀行とは、私と宿利正史国交審議官(当時)、篠原康弘航空事業課長(同)の3人で向き合ったが、最初は銀行はテコでも動かず、国交省がJALをここまで甘やかしてきたんだと責めてくる。「1カ月前までは自民党政権だったんですけどねぇ」とは言わずじっと聞いていた。
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