【著者プロフィル】くりはら・やすし/1979年生まれ。政治学者。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に『大杉栄伝─永遠のアナキズム』『村に火をつけ、白痴になれ─伊藤野枝伝』『死してなお踊れ─一遍上人伝』『アナキズム─一丸となってバラバラに生きろ』など。
読者を選ぶ本だろう。タイトルからは内容を想像できず、目次を眺めたら困惑してしまうはずだ。第1章「どすこい貧乏、どすこいセックス─女力士はエイリアン」から始まり、この調子で第12章「ババア一擲─なにがわたしをこうさせたか」まで続く。あえて書評らしく紹介すれば、「アナキズム(無政府主義)を専門とする著者が現代の課題を先人の生き様と結びつけ、型にはまらない文体でその解決の処方箋を綴(つづ)った1冊」となろうか。
取り扱う話題は安倍政権、奨学金、共謀罪、都政、天皇制からキムチ、即身仏まで。通底しているのは、何にも支配されないと隷属を拒否する著者の意志である。
権力は人間を縛るが、本当に必要なのか。歴史を振り返れば、革命時など支配権力がない状態でも、人々は生きてきたではないか。「アァ、アアッッ」とか「ハ、ハヒャア」「クソくらえ」といった擬音語や叫びにあふれた文体で、青臭く聞こえかねない主張をこれでもかと畳みかける。
「権力」「支配」というと遠くの話に聞こえるかもしれないが、現代人にとっては隣り合わせの問題だ。
例えば多くの会社員は「出世」という価値観を所与として受け止め、そこには序列が自然発生している。結果として、会社の中には支配・被支配の構図が生まれている。会社に属さなくても、「カネ」により取引先などへの隷属状態にある人は少なくないはずだ。
こうした関係は現代の日本が生産性を突き詰めた結果であるという。その歪みは社会のあらゆるところに散見される。障害者や同性愛者に「使えないやつ」との烙印を押す人が少なからず存在することがその一例だろう。2016年に神奈川県の知的障害者福祉施設で起きた入所者殺傷事件は、生産性に過剰に毒された弱者が弱者を取り締まる構図であったと著者は指摘する。多くの人は無意識にこの構図に取り込まれ、自発的に隷属してしまっている。
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