【著者プロフィル】Carl Hoffman/1960年生まれ。米国のジャーナリスト。『ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー』編集者。『アウトサイド』『ウォールストリート・ジャーナル』などに旅行記を寄稿。著書に『脱線特急 最悪の乗り物で行く、159日間世界一周』など。
「虚実皮膜」とは、芸術は虚構と事実との、皮と膜とのようなほんのわずかな間にあるという意味で、近松門左衛門が語ったとされる言葉だ。しかし、実際にそうかは時と場合によるだろう。本書で扱われる「ロックフェラー失踪事件」について知れば、「虚実の皮膜」にあるのは悲劇でしかないということを痛感する。
事件は1961年のオランダ領ニューギニアで起きた。ロックフェラー家の一員として輝かしい未来を約束されていた、マイケル・ロックフェラーという米国の白人青年が、現地のアスマット族によって殺されたのだ。単なる殺人ではなく、首狩りに遭い、その後食べられてしまった。
当時、さまざまな事情から真相は闇に葬られ、事件の原因はその後「失踪」や「溺死」とされた。本書はその事件の一部始終を徹底的に調べ上げ、なぜマイケルが殺されたのかという核心に迫った衝撃のノンフィクションである。
アスマット族の世界は、西洋社会のタブーをそのまま具現化した世界だった。男は男とも性交し、自分の妻を他人と共有する。時に尿を飲み合い、男全員が首長のペニスをくわえて吸った。隣人を殺し、人の頭を切り落とし、人の肉を食べるというのは日常茶飯事。それこそが彼らを彼らたらしめる習慣だった。外の世界を知らないアスマット族にとって、それらは絶対的な「善」の行為とされたのだ。
一方で、白人青年のマイケルはプリミティブ・アート(先史時代の造形物の芸術)に傾倒していた。ニューギニアに赴いたのも、文明化されていない過去の世界を自分の目で確かめ、呪術に用いられる彫像などを蒐集(しゅうしゅう)したいという思いに突き動かされたからだった。その過程では、若さゆえの過剰な自信や、地元部族への無理解もあっただろう。
この記事は会員限定です
残り 729文字

