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キャリア・教育 #早稲田vs.慶応 最強私学はどっちだ?

根幹を成す「一身独立」の教え 慶応の歴史キーパーソン

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『学問のすゝめ』で知られる福澤諭吉(1835〜1901)は、豊前(大分)中津藩の下級藩士の子として大坂・中津藩蔵屋敷に生まれた。

長崎に遊学後、大坂の緒方洪庵の適塾で学び、1858年、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開く。これが慶応義塾の起源である。68年、元号にちなみ、それまで名前のなかった塾を慶応義塾と命名し、近代的な学校の体裁を整えた。

福澤諭吉/慶応義塾の創設者。思想家、啓蒙家として『西洋事情』『文明論之概略』などを著した(写真:国立国会図書館)

72年に『学問のすゝめ』を出し、ベストセラーになる。この中に有名な言葉「一身独立して一国独立す」の言葉がある。国民一人ひとりが独立した人間であって初めて、国として独立できるという意味だ。人々が自分で考え行動できること、つまり「一身の独立」によって、「一国の独立」が可能になる、それは学問の有無にかかっている、と福澤は主張した。

福澤といえば、「独立自尊」の言葉も有名だ。1900年に出された『修身要領』に登場する。それまでも使用例があったが、門弟たちが編纂し福澤自身が手を入れて完成したこの教訓集で、実質的に初めて用いられた。『修身要領』は塾内だけでなく全国各地で講演会が開かれるなど普及キャンペーンが行われ、福澤の思想の普及に大きな効果を果たした。

「一身の独立」が重要だと考えていた福澤は、個人の独立を可能にするものとして経済と実業にも多大なる関心を抱き、授業にもそれを取り入れた。幕末、新政府軍と旧幕臣が上野の寛永寺で衝突した彰義隊戦争のとき、当時、浜松町近くにあった慶応義塾ではいつもどおりに福澤による講義が行われた。そのテキストが、米ブラウン大学の学長であったウェーランドの書いた経済書だったのは、象徴的なエピソードだ。

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