ジャック・マー(馬雲)は、1964年、浙江省杭州市に生まれた。祖父は国民党政府時代に一位保長という隣組制度の長を務めたことがあり、一家は文化大革命中、猛烈な差別を受けた。マー自身も級友たちから激しいいじめを受け、けんかっ早い少年になった。
そんな少年の転機となったのは、ある外国人との出会いだった。80年、オーストラリア・中国友好協会の企画したツアーでケン・モーレイ一家が杭州を訪問。15歳のマーは、息子のデイビッドと親しくなった。2人の間で数年文通が続いたが、これは単なる文通ではなかった。ケンが添削をしてマーの英語力を鍛えたのである。マーは英語に夢中になった。
ただし学力には難があり大学入学試験に何度も落第してしまう。何とか杭州師範学院に滑り込んだものの、生活費の捻出が苦しくアルバイトを続ける必要があった。それでも足りずモーレイ家からも経済的な援助を受けた。
88年、杭州電子工業学院の教師となり、英語と国際貿易論を教えることになった。それだけでなく、週に1~2度夜間に開かれていた英語クラスでも教鞭を執った。独特な教え方で、とても人気のあるクラスだったようだ。
このまま英語の教師として成功したかもしれないが、マーは起業家の道へと進んでいく。鄧小平の改革・開放路線と南巡講話に刺激を受け、94年にマーは海博翻訳社を設立。ところが、この事業が軌道に乗ることはなかった。
95年、米国旅行でインターネットに出合ったマーは杭州電子工業学院の職を辞し、海博網絡諮詢社を設立する。中国版イエローページの立ち上げである。目のつけどころはよかったのだが、これも頓挫。北京の中国対外貿易経済合作部の下部組織に身を寄せることになった。マーの発想はよいのだが時代を先取りしすぎたのである。思いつくと何もかも振り捨て突進してしまうところがあるようだ。
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