本州の最西端にある山口県下関市は中国地方の中核都市。人口は約26万人で中国地方では広島、岡山、倉敷、福山に次ぐ第5位の人口を擁する。この街が「下関市」と称するようになったのは1902年からで、それまでは「赤間関市(あかまがせき)」という名の街だった。赤間関の「間」を「馬」とも書いたことから「馬関(ばかん)」とも呼ばれた。1895年の日清戦争終結の際に結ばれた日清講和条約は、教科書では「下関条約」と習うが、当時は「馬関条約」と呼ばれていた。
下関は古来、交通の要衝として栄えてきた。山陽道と山陰道の結節点に位置し、関門海峡を挟んでトンネルや橋で北九州市とつながる。江戸時代には北前船の寄港地であり、瀬戸内海と玄界灘をつなぐ港としても栄えた。下関港から韓国の釜山(プサン)港は近く、夜に関釜(かんぷ)フェリーに乗れば翌朝には釜山に到着できる。下関駅北側にはコリアンタウンが形成されており、韓国との距離の近さを物語る。
また古くは捕鯨の街としても知られ、多くの捕鯨船でにぎわった。今では捕鯨業は衰退したが、調査捕鯨の基地となっている。
下関といえばフグを思い浮かべる人が多いが、焼き肉、鯨料理のほか、玄界灘や瀬戸内海でレンコダイやブリ、太刀魚、ハモなどが取れる「食の宝庫」でもある。市内には川棚温泉や一の俣温泉などの温泉が豊富にあることもほとんど知られていない。
港湾整備で人工島設置 なお続く博多への流出
こうした魅力的な観光要素が存分にある下関だが、観光地としての知名度はいま一歩である。2017年度の観光客数は実人数ベースで705万人だが、その多くが日帰り客で、宿泊者数は81万人にすぎない。また宿泊者のうち外国人は1万9000人で宿泊者数のわずか2.3%。お隣の北九州市には1242万人の観光客、186万人の宿泊者がおり、うち外国人が68万人(約36%)を占めるのとは対照的だ。
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