政権交代を遂げたばかりの民主党政権で副総理に就いていた菅直人氏からご飯に誘われたのは、2009年10月のことだった。
「政府もこれからは君が言ってきたこと、やってきたことに取り組もうと思う。一緒にやらないか」。突然の依頼だった。返事はいったん留保してその場を後にした。
私の周囲の意見は真っ二つ。「絶好のチャンスだ」と言う人と、「政府に取り込まれるぞ」と危惧する人。ずいぶん悩んだが、やはり君がやってきたことを手伝う、と誘われてノーとは言えないな、と決意した。
10月26日、私は内閣府参与の辞令を受けた。
参与として最初に取り組んだのは派遣村の公設化だった。08年末の「年越し派遣村」は労働組合らが主催した東京・日比谷での一度限りの出来事だったので、09年末はもっと全国規模で公的な総合支援の体制を作ろうとした。
官僚たちは何を言っても「できない」「難しい」とする理屈を並べた。これだから日本の官僚は頼れない、と疑心暗鬼になった私は、官僚を飛び越えて自治体の首長を直接説得して回りだした。
実際は、それで物事がうまく運んだケースは少なく、ほとんどの場合、自治体の抵抗感の大きさをあらためて感じる結果となった。中には、派遣村に対して言葉にするのもはばかられるような偏見をむき出しにした首長もいた。
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