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ライフ #人が集まる街 逃げる街

生活者視点で復活した商店街 丸亀町(香川県高松市)

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  • 牧野 知弘 不動産事業プロデューサー

四国の玄関口、香川県高松市の中心部に全長470メートルに及ぶ巨大アーケード商店街がある。この一角が「丸亀町(まるがめまち)」だ。香川県で「丸亀」というと、近隣の「丸亀市」を思い出す人がいるかもしれない。それもそのはず、この街は1588(天正16)年、生駒親正が高松城を築いた際に、大手門前に丸亀城下の商人たちを連れてきたのが始まりなのだ。

この街はその後、商店街として大いに発展し、ピークであった1992年には1日平均で約3000人の買い物客が訪れ、年間売上額は270億円にも達したという。特徴は中小の商店が多く、活気があること。高松の中心商店街の地位を不動のものにしていた。

ところが、この商店街に地殻変動を及ぼしたのが、88年に開通した瀬戸大橋だった。瀬戸大橋は四国の悲願ともいえる本州との接続橋であり、その開通のおかげで、トラックなどによる陸路での物資の輸送がスムーズになり、街の経済は潤うと期待された。

しかし、本州と道路でつながったことで、この街の商店街だけでなく、市内全般に大資本のスーパーマーケットを呼び込むことになった。また中心市街地の地価が高騰したほか、産業構造が変化して工業団地などが街の郊外に造られるようになると、丸亀町の商店街は急速に人影がなくなっていく。皮肉なことに、それまでは海が大資本の流入を防いだが、橋ができたことで本州からスーパーに品物を供給できるようになったのだ。

危機感を抱いた街は91年、商店街をA~G街区までの7街区に分ける「高松丸亀町商店街再開発計画」を策定した。この計画に特筆されるのは、地方都市でよくあるような大型店排除を掲げたのではないことだ。商店街を「消費者」のための街でなく、「生活者」の街と考え、商店の上層部に住居を設置。その下にブティックや医療モールを誘致した。高齢者でも楽しく暮らせる街を志向したのだ。

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