改革をやりたい、と大学から政界へと飛び込み、2000年代の自民党政権で要職を歴任した女性経済学者が振り返る。
01年の晩秋、大阪大学の教授だった本間正明先生から「政府外の人を入れたいという竹中平蔵・経済財政政策担当相の意向もあるので入ってくれないか」と言われ、初めて政府の経済財政諮問会議にかかわった。小泉純一郎内閣で諮問会議が始まったとき、政策決定のプロセスを変えれば政策の中身も変わるという成果を知り、「目からうろこ」だった。やってみるのもいいかなと思い、02年4月から3年半、内閣府の参事官、大臣官房審議官、政策統括官を務めた。
小泉内閣の重要な柱は政府依存型経済からの脱却で、何かあれば公共事業で、というやり方をやめる。経済対策では大きい構造改革の方針と違うことはやらないと、小泉さんは頑として貫き通した。
小泉さんは経済の個別政策で自分の強い思いと意見があって、自ら指示を出す。それも極めて具体的。そこがほかの首相と最も違う点だった。諮問会議の議長として大胆に発言し、指示した。
地方分権に関する三位一体改革では「総務省は中央集権省。何でも中央で決める」と批判し、規制改革でも「いちばん難しいところからやろう。医療、大学、農業の株式会社化から」とか、医療の混合診療の問題では「年末までに解禁の方向で結論を出せ」という言葉がボーンと出てくる。指示書という紙だったり、発言だったりで、文字どおり首相主導だった。
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