2018年7月、オーロラ航空(往復運賃5197円)で成田からウラジオストクに飛び、市内に残された冷戦時代の地下壕を訪れることにした。
ウラジオストクは長い間、ソ連の太平洋艦隊の母港を擁する軍事都市として外国人はおろか、ソ連の国民ですら自由に立ち入ることが許されていなかった。
ソ連崩壊後の1992年には外国人にも開放され、多くの観光客でにぎわうようになった。
現在も700の壕が存在
地下壕見学ツアーはウラジオストクディガークラブという組織が行っている。ツアーへの参加は日本の旅行会社を通じて手配すれば簡単だが、二人で3万円以上する。
そこで、翻訳サイトを活用しながらロシア語表記しかないクラブのホームページを解読し、予約を試みた。通訳込みで3時間約1万5000円に下がった(通訳は自分で用意しても構わない)。
通路の全長が約1.5キロメートルに及ぶ地下壕は、対日戦を念頭に置いて1939年に着工された。その後冷戦となり、米国との核戦争が現実的になると、核シェルターに役割を変えた。
共産党幹部や軍の参謀本部とその関係者のために造られ、入り口はダミーの建物でカムフラージュされていた。面積は2000平方メートルでウラジオストク市民全員が逃げ込める広さはない。もし核戦争が起きていたら、命の選別が行われていただろう。
この日のウラジオストクの最高気温は25℃。壕内の気温は10℃強なので最初は心地よいが、しだいに肌寒くなってきた。
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