観光振興・経済効果のかけ声のもと、筆者の暮らす京都には現在、外国から年間700万人の観光客が訪れるらしい。大きな町ではないので、容量オーバーの悲鳴も聞かれる。
京都という町は、徳川幕府の開幕とともに、首都機能をほぼ喪失し、明治になると、産業力も相対的に低下したから、いわば文化的な古都として生きるしかなくなった。そんな境遇にあって、京都はうまく立ち回ってきた都市だったとはいえよう。
神社仏閣など文化遺産をフルに活用しつつ、また旅行者をよろこばせる新奇な建築も、あえて辞していない。古いところでは京都タワー、また近くの京都駅ビルなどがあてはまる。
古都と呼べるのか
見る人がいなくては文化財や歴史的景観は成り立たないし、保存もおぼつかない。それが待つ運命は、単なる過去の遺物でなければ廃墟であろう。だから古都として観光都市になるのは、決してまちがっていない。問題は「古都」と呼ぶにふさわしい町になっているのかどうかである。
要するに、新旧混在の町であって、それだけいっそうバランス感覚がなくてはならない。ところが歴史をやっている身からすれば、現在の景観は、醜悪そのものである。生まれ育ったふるさとながら、いささかおぞましい。節操とセンスの欠如のなせるわざなのであろう。
京都は千年のみやこだった。それは久しく、外から多くの人々を迎え入れてきたことを意味する。武士は天下を取るのに、誰もが上洛をめざしたのであって、それこそくりかえし豺狼(さいろう)のごとく侵入してきた。
よそものを嫌う京都人のメンタリティは、どうやらそのあたりに淵源する。決して客人を歓迎しない。身近で見てきた筆者など、こんな住民でよく観光都市になったな、というのが正直な気分である。
この記事は有料会員限定です
残り 572文字
