2005年4月25日、死者107名・負傷者562名を出したJR福知山線脱線事故。JR史上最悪の事故で被害者となった淺野弥三一(やさかず)氏は、遺族感情と責任追及を脇に置き、加害者であるJR西日本との共同検証に自ら責務を課した。硬直しきった巨大組織との対話は、異例の出戻り社長との間でついに回路が開いた。
JR西に根付いていた“事故は個人の責任のみ”
──事故の背景にはJR西日本独自の背景もあったのでしょうか?
まず脆弱な収益基盤、私鉄との競合があった。JR東日本は首都圏を抱え圧倒的な乗客数がある、JR東海は東海道新幹線というドル箱を持っている。それに対しJR西は民営化時点で52路線のうち黒字は大阪環状線と山陽新幹線の2路線だけ。阪急・阪神など強力な私鉄5社があって、JRなんて乗らないという人も珍しくない。
国鉄民営化の総司令官で、JR西の天皇と呼ばれた井手正敬氏(事故当時、相談役)の現場社員への締め付け、個人への責任追及、懲罰的再教育という手法は、国鉄改革を成し遂げた成功体験によりJR西でより濃縮されました。他社に負けるなと社員の尻をひっぱたく。事故当時の大阪支社長方針の筆頭が「稼ぐ」だったほど。
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