「アメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つ者は、みなその地位相応に怜悧でございます。この点ばかりは、まったくもってわが国と正反対のように思います」
これは約150年前、江戸幕府末期に米国から帰国した勝海舟が、老中に向かって放った言葉である。老中といえば、将軍に直属して政務を統轄した幕府の最高職だから、勝海舟はよほど腹に据えかねるものがあったのだろう。
私の父は、現職の職業軍人だったにもかかわらず、玉音放送を聞いたときの感情をこう表現した。
「とにかく! 負けてよかった……と思った。勝ったりなんかしたら、この国は大変なことになると思っていたからな」
なぜかといえば、軍の中枢部や国の要職に就いている者が、もてはやされ、みんながあこがれるからという理由で職業を選択しており、戦に負けないかぎり、そうした人たちを要職から追い出せないと思っていたから、とのことだった。
私はこの父の話に引かれた。なぜなら、私の職業経験上でも要職に就いている者たちに似たような傾向があるからだ。こうした日本人の国民性に潜む問題は、戦前も戦後も基本的に同じなのだろう。父は戦争に負けてでもこのタイプを国の中枢から追い出したいと思っていたが、実際に負けても彼らを追い出せてはいない。それどころか、冒頭の勝海舟の話のように、日本の国民性は江戸時代から延々続く問題なのかもしれない。
勝海舟の言う「人の上に立つ、怜悧でない者」と、父の言う「もてはやされるから職を選んだ者」は、私が育つ過程で見た「大人からの評価を得るために、従順に生きることを選択する子供」のタイプだ。そのタイプが、他国よりかなり多いのでは、と思うのだ。
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