私は海上自衛隊を42歳で退職してから自分の技量が落ちないよう、すぐにフィリピンのミンダナオ島に拠点を移した。
そして、そこの海で育ち、海とともに生きてきた22歳の女性を弟子にした。彼女の海における戦闘技術、知識を習得するためである。だから弟子というより師匠だったのかもしれない。
「おまえはこの先、どうやって生きていくんだ?」
「あなたはどうなのよ?」
「俺がおまえの年齢のときは……」
「違うわよ。昔じゃなくて、今よ」
ハッとした。ない。人に聞いておきながら、自分には人生設計も夢もないことに気づいた。
理由はよくわかっていた。創設してまもない特殊部隊で、隊員を集めて話をしたことがある。
「おまえ、歳はいくつだ?」
「24です」
「辰年か?」
「はい」
「俺と一回り違うな。俺は36歳だが、40歳にはならない」
「……」
「俺は、40歳にはなれないんだよ。俺たちの任務はなんだ?」
「北朝鮮の工作船に乗り込んでの、人質奪還、武装解除です」
「そうだ。だから、消耗が激しい。1回や2回の出撃なら生還の可能性もあるだろう。日本漁船に偽装した工作船は1隻、2隻じゃない。俺が見たのだけでも2隻ある。4年は無理だ。だから、俺は40歳にはなれない。おまえたちも一緒だ。4年はもたない。でも勘違いするなよ。目的は、何とかして生きて帰り、何度でも出撃して任務を達成し続けることだからな」
突然、「余命は4年」と宣告されたのだから、普通なら引いてしまう話だ。だが、彼らは黙って聞いていた。
この記事は有料会員限定です
残り 554文字
