憲法は、国家権力によるさまざまな失敗の歴史を反省し、同じ過ちを繰り返さないようにするためのチェックリストだ。
憲法を創るときには、現に生じた国家の失敗を分析したうえで、「よりよい解決を導くにはどうしたらいいか」と徹底的に考えられている。だからこそ、私たちは、国家が何らかの失敗をしていると感じたとき、憲法の条文を読み、そこに託された先人たちの知恵に学ぼうとする。
たとえば、憲法第97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定する。
憲法に託された「希望」を思うとき
この条文には、自由で民主的な国家を作り、基本的人権の尊重を確立しようという、強い希望が込められている。現在を生きる私たちは、この条文を読むことによって、先人たちの希望を思い出すことができるのである。
ところが、最近の改憲論議は、あまりにも軽々しくはないだろうか。
たとえば、「自衛隊は今の憲法ではどう考えても違憲だ。国を守れないのは不合理だから改憲しよう」との議論をしばしば見掛ける。しかし、自衛隊合憲説は、頭ごなしに否定できるほど不合理な見解ではない。歴代政府はもちろん、ほとんどの政党も、合憲説を採っている。
メディアの世論調査を見ても、自衛隊を違憲と評価する国民は少ない。大体、本気で自衛隊違憲説を採るなら、改憲が実現するまでは、自衛隊の防衛活動をすべて凍結しなくてはならなくなるが、自衛隊違憲論者は、そこまで覚悟して提案しているのだろうか。
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