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部下の仕事に何でも「そうしろ」という管理法 維新を主導した長州の藩主・毛利敬親の覚悟

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幕末の長州藩主、毛利敬親(たかちか)は部下から“そうせい候(こう)(殿様)”と呼ばれていた。どんな内容の計画案を持っていっても「そうせい(そうしろ)」と応ずるからだ。ダメだとは決して言わない。吉田松陰はじめ松下村塾門下生(高杉晋作や久坂玄瑞など)が、「藩論を攘夷にまとめたいと思いますが」と伺えば、「そうせい」と答える。

穏健派の長井雅楽(うた)が「関門(馬関)海峡を通る外国船を片っ端から砲撃する(攘夷)のは少し乱暴に思われます。進んで外国に進出し皇威を世界に示す。公武(朝廷と幕府)合体策がよろしいかと存じますが」と進言すれば、敬親は「そうせい」と応ずる。松陰たちは鎖国を前提とし、長井は開国を念頭に置いている。外交政策としては完全に対立する。

それだけではない。藩内政策でも同じだった。この頃の長州藩は経済改革に狂奔していた。「撫育(ぶいく)方」という、生産者への資金貸与の役所を設け、それによって生産された物は「越荷(こしに)方」という役所によって他国へ輸出した。この運営についても二つに分けた。

「越荷方の運営は城下町の大商人に任せると、藩庁の手間が省けますが」と上申すれば敬親は「そうせい」。「大商人に任せると生産者である零細農民からの搾取が甚だしくなります。生産者の近くに住む中小の商人を活用すべきだと存じますが」という伺いがあれば「そうせい」。

こういう状況が続いたので、立案者たちは敬親の決裁に疑問を持ち始めた。「定見がない」「何でもそうせいだ」「そのまま実行すると後で問題が起きるのではないか」。

しかし敬親は分家から入って本藩の主になった人物で、若い頃から英明の名が高い。考えがあって何でもそうせいと言っているのだろう、とある部下が側近にその辺のことを聞いてみた。側近は「もちろん、殿は無定見でそうせいとおっしゃっているわけではない」「殿のお考えとは」「部下は思いどおりに仕事せよ。何かあったときの責任はすべてご自身が負う、というお覚悟なのだ」「!」。聞いた者は言葉を失った。

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