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オスマン帝国という「モザイク画」に学ぶこと 新しい境界線を引くことが許されるのか

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中東のさまざまな紛争の根源は、20世紀初頭のオスマン帝国解体と、その後の混乱にある。

多様な文化や伝統、言語が入り交じり、その頂点に君臨していたのがイスタンブールのスルタン(皇帝)だった。オスマン帝国は安定しており、数百年にわたり平和が続いていた。しかし、帝国が崩壊し始めると、非常に暴力的な状況になった。

フランスと英国が利権をめぐって競争し、交渉の末に作られたのがシリアとイラクだった。1948年にイスラエルが建国されると、紛争や交渉が数十年続いた。

オスマン帝国時代のモスル州がどの国に属するのかを決めることは、特に難しい問題だった。トルコとイラクの両新政府が所有を主張していたからだ。国際連盟で設立された委員会が同地域を分割したが、適切な境界線を引けなかった。結局、委員会は同州をイラクが獲得することを勧告したが、その唯一の理由はイラクが数十年間、国際連盟の委任統治下に置かれることが取り決められていたことだった。

それ以後、戦争と革命が続き、最も重要な一つの真実が浮き彫りとなった。それは、オスマン帝国には明確な境界線がなかったということだ。それゆえに同地域においては、州や組織が同種の民族、国民、宗教的アイデンティティごとに、スムーズに新しい秩序を築くことができた。

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