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21世紀に入り、私たちが生きる世界はますます複雑になっているように見える。政治やビジネスだけではなく、様々な分野で地殻変動のように変化が起きている今、最も必要とされるのが"人物×人材力"だ。どんな困難に遭遇しようと、最後に頼れるのは自分しかいない。では、各界で活躍するプロフェッショナルたちはどのように自らを磨いてきたのか。最終回となる第6回は、京都市で小学校教諭として働きながら、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会公認レフリーとしても活躍する真継丈友紀さん。“二足のわらじ”を見事に履きこなし、ワールドカップで笛を吹くことを目標に据える真継さんが、同志社大学時代に恩師から学んだ生き方から、「一流のチーム」の条件までを語る。
僕が選手ではなく、レフリーを選んだ理由
――まずは真継さんがラグビーを始められたきっかけから聞かせてください。
真継 父親がラグビー好き、叔父も選手だったことから、小学校3年生でラグビースクールに入りました。中学時代はラグビー部がなかったのでハンドボール部で活動しましたが、高校からもう一度ラグビーをしたいと考え、ラグビー部がある京都府立洛北高校に入り、そこで恩師である柳田繁好先生に出会ったんです。レフリーに興味を持ったのも、柳田先生の指導がきっかけですね。
僕も選手として懸命にプレーしていましたが、もっとうまい選手はたくさんいましたし、日本代表になれるようなレベルではありませんでした。それでも、なんとかこの世界で一番になりたい。そう思っていたなかで、柳田先生から「レフリーをやってみないか」と言われたんです。「日本人でワールドカップの笛を吹いたレフリーはいない」と言われて、この分野なら一番になれるかもしれない、と。実は、あとでこれが間違った情報だということがわかったのですが(笑)。
――そして高校卒業後、大学ラグビーの強豪校である同志社大学に入学されました。
真継 2回生までは選手としてプレーしていたのですが、同じ代には日本代表の仙波智裕や平浩二など素晴らしい選手がいて、また僕自身が怪我がちだったこともあり、レギュラーになるのは難しい状況でした。そんななかで、当時ラグビー部のアドバイザーで、元ラグビー日本代表監督でもある故・岡仁詩先生と相談して、チームに役立つために、専属のレフリーになる決断をしたんです。
学生がチーム専属のレフリーになるというのは、当時としてはまったくと言っていいほど例のないことでした。京都のレフリー協会の方とも連絡を取り、最新のレフリングの動向を踏まえて、試合のために傾向と対策を勉強していったんです。
“二足のわらじ”でレフリーを続ける人たち
――レフリーには、選手とはまた別種の能力が必要になると思います。レフリーのどんなところに面白さを感じたのでしょうか?
真継 高校生のころ、初めてレフリーをしたとき、公正な立場で試合を客観的に見てジャッジすることが面白いと感じました。正直なところ、選手をやっていると、「なぜこれが反則なのか」、あるいは「これはなぜ反則じゃないのか」と、レフリーに対して疑問を抱くことがあります。けれど、いざ自分がレフリーをしてみたら、選手に納得してもらえるジャッジができた。選手の感覚と近い立場で始められたのは、プラスだったと思います。
――本格的にレフリーの勉強を始めたなかで、学生生活はどうでしたか?
真継 本当に忙しかったですね。僕は大学に入る前から教職を目指していたので、特に3~4回生のころには、商学部の勉強とは別に取得しなければいけない単位が数多くあったんです。それで、4時限目までは今出川キャンパスで勉強して、京田辺キャンパスのグラウンドでラグビーの練習をして、そこからさらに今出川に戻って……という日もあって。最終的な取得単位数では、126でいいところを200も取ってしまいました(笑)。
――当時から教職とレフリーという、いわば“二足のわらじ”を考えていたのでしょうか?
真継 そうですね。当時は日本ラグビーの最高峰・ジャパンラグビートップリーグも発足したばかりで、専属のレフリーとして食べていくという選択肢は考えられませんでした。教職であれば試合がある土日が休みなので、週末の試合で笛を吹くことができる。現在も専属のレフリーは限られており、僕のような小学校教諭から、大手メーカー勤務、出版社の編集者から消防士、自衛官まで、本業はさまざまです。
レフリーとしてのやりがいは
「いい試合を作ることができた」とき
――真継さんは同志社大学卒業後に小学校教諭の免許を取得、京都市立朱雀第一小学校に赴任されました。レフリーとの両立に苦労はありませんでしたか?
真継 1年目は大変でした。研修が多く、レフリーに必要なトレーニングができずに苦しかったですね。レフリーをしていても、職場に迷惑はかけてはいけないと考えていましたし、そうでなければ周囲の理解は得られませんから、まずは仕事をきちんとしようと。
ただ、仕事に慣れてくると、トレーニングや試合の研究も含めライフサイクルがきちんとできてきました。現在の平均睡眠時間は4~5時間、午前0時ごろから走り込みをすることもあります。時間が詰まっているときは、小学校で子どもたちと一緒に走って調整したりもしていますね。
――「職場の理解が必要」ということですが、逆にレフリーとしてのご経験が、教壇に立つ上で役立っていることもあるでしょうか?
真継 そうですね。小学校の先生というのは、レフリー活動と似ているところがあります。つまり、レフリーと同様に、子どもたちを公正・公平な立場で見なければいけない。人間、どうしても先入観で見てしまうところがあるのですが、僕は男の子でも女の子でも、公平な立場でジャッジして、悪いことは悪いと納得させることが必要だと思っています。
――レフリーのやりがいについても聞かせてください。
真継 例えば、トップリーグの試合のときです。実力ある選手たちは試合だけに集中している。素晴らしいプレー。そして、ノーサイドの笛が鳴る。同時に観客から大きな拍手が沸き起こる。お互いが集中し、力を出し切った充実した空気の中で、勝者だけでなく、負けたチームの選手からも僕に握手を求めてくる―――。
それが一番満足できる瞬間です。両チームが納得のいく公正・公平なジャッジをすること。「いい試合を作ることができた」という実感がやりがいに繋がっています。
ラグビーというのは、野球やバスケットボールなど他の球技と比較して、「反則」の幅、グレーゾーンが広いスポーツです。ジャッジをゆるくしすぎると試合が荒れてしまうし、ハードに吹きすぎると試合のダイナミズムが失われてしまう。両チームの選手の様子を見ながら、いいバランスを見極めてジャッジする、という感覚が非常に重要なんです。
一流の選手が持っている
求心力とコミュニケーション力
――選手として試合に臨むのと、レフリーとして臨むのでは、心構えにどんな違いがありますか?
真継 試合前は選手以上に緊張し、吐き気を催すほど追い詰められることがあります。プロ選手は当然、試合に自分の生活がかかっている。高校生は全国大会なら進路にかかわるし、大学生も就職にかかわる試合がある。極端な話、ひとつの笛がひとりの選手を引退に追い込むことだってあるんです。
彼らのハイパフォーマンスを引き出すためには、レフリーもそれだけ準備をしなければなりません。試合前の一週間は、両チームのデータを分析し、試合のビデオを見て、体のコンディションも高めていきます。そして試合後は、(レフリーを指導する)コーチとともにその日のジャッジを振り返り、次の試合に向けて自分の課題を考える。セットプレーの安定、ランニングコースやポジショニングの最適化などです。
――レフリーとしてご覧になって、「一流の選手」、あるいは「一流のチーム」の条件とは、どこにあるでしょうか。
真継 規律に対する高い意識ですね。プロの選手、特に強いチームは、ものすごく規律を重んじます。神戸製鋼、東芝、パナソニック、サントリーなど、トップリーグの強豪チームに共通する点ですね。
レフリーの世界では「最初の10分が試合を決める」と言われます。つまり「どの範囲で反則を取るのか」ということを、最初に両チームのキャプテンとコミュニケーションを取りながら決めていくようなところがあるのです。
いいチームはキャプテンに求心力があり、反則を指摘すればきちんとそれがチームに浸透して、ゲームをきちんとコントロールしてくれます。そのことが、いい試合につながるんです。一般的な仕事と同じように、リーダーには周囲を引っ張る業務上の高い能力とともに、コミュニケーション力が必要になるということです。
――真継さんは現在、日本ラグビーフットボール協会公認の「A1級」レフリーであり、その上には国際試合も担当する「A級」があります。
真継 まずはA級をめざし、そこからアジア、IRB(国際ラグビーボード)と進んで、最終的にはワールドカップで笛を吹くことが目標です。日本はまだ「ラグビー大国」とは言えず、世界的には不利な状況にあるかもしれませんが、日本のレフリーが世界に認められるためにも、一歩ずつ着実に前進していきたいですね。
大学の恩師に言われたことは
「“わからない”という言葉を返すな」
――あらためて、同志社大学時代に学んだこととは?
真継 岡先生には、「偏見などにとらわれず、自由に羽ばたけばいい」という発想を教えていただきました。そういう発想がなければ、働きながらレフリーを続ける、という道を選んでいなかったと思います。
また、当時ヘッドコーチをなさっていた中尾晃さん(現同志社大学ラグビー部ゼネラルマネージャー)からは、忍耐強く、ハングリーに努力を続けることの大切さを学びました。中尾さんに言われて印象的だったのは、「“わからない"という言葉を返すな」ということです。つまり、「わからない」で終わりにするのではなく、そこから調べたり、確認したりして、次のステップのことまで考えて発言しなければいけない。そうじゃないと、社会では通用しないということです。
――最後に、現在の大学教育に求めることがあればお聞かせください。
真継 自分の人生を決める学生のために、企業へのインターンシップを充実させてほしいですね。社会人になって「飛び込んでみたら肌が合わなかった」とならないように、学生のころから情報をたくさん与えて、社会とのパイプをつくってあげることが重要だと思います。また、社会に出て必要な道徳的な観念も、あらためて身に付けられるようになるといいですね。今は「仕事は楽しければいい」と考えている人も少なくありません。もしそんな人が社会に出てつまずいたとき、ドロップアウトしてしまわないように、しっかりとした考えを大学で学ぶことも大事だと思います。
(撮影:今祥雄)