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21世紀に入り、私たちが生きる世界はますます複雑になっているように見える。政治やビジネスだけではなく、様々な分野で地殻変動のように変化が起きている今、最も必要とされるのが“人物×人材力"だ。どんな困難に遭遇しようと、最後に頼れるのは自分しかいない。では、各界で活躍するプロフェッショナルたちはどのように自らを磨いてきたのか。国連大学のアカデミック・プログラム・オフィサー(学術研究官)として、国際関係学や安全保障について研究する二村まどかさんは、世界各地で研究・講演活動を行うなどグローバルに活躍している。二村さんは、どんな指針のもとで自らの道を切り開いてきたのだろうか。
海外生活を見据えて
語学の習得に励んだ学生時代
――二村さんは現在、平和構築や国際関係学を専門とされていますが、同志社大学では法学部の出身ですね。学部時代はどんなことを学びましたか。
二村 昔から社会や人間に興味があり「法律は社会を映す鏡のひとつなのではないか」という観点から法学部を選びました。何を学んでいくか迷いましたが、「国際的なことに興味がある」という意思は明確にあったので、国際関連の講義に出席し、視野を広げていました。
私は「これがしたい」という思いのままには突っ走れない性格で、かと言って自分ができることや、すべきことだけをこなして満足することもできません。そのため、当時から今に至るまで、「自分は何がしたいのか」「自分には何ができるのか」「目標を達成するために今何をすべきか」という3点のバランスを考えるようにしてきました。学部時代も試行錯誤していましたが、大学院に進みたい、研究職に就きたい、海外に行きたいという思いは早い段階からあったので、まずは準備のため、英語とフランス語の学習に力を注いでいました。
――国際関係のことを学ぶ中で、なぜ「平和」や「戦争」という分野に進むことになったのでしょうか。
二村 小さい頃から「戦争は嫌だ」という思いや「なぜ海外では戦争が続いているのだろう」という疑問を抱いており、戦争のメカニズムや背景を学びたいと考えていました。2年生で国際機関のゼミを、3、4年生で国際関係史のゼミをとったことで、方向性が定まりました。
3、4年生のときに所属していたゼミの教授は、アメリカ外交史・日米関係史の大家である麻田貞雄先生。ゼミのレベルは非常に高く、厳しく、古典から最新の論文まで原書で読むような、勉強漬けの2年間となりました。ゼミの仲間はみな熱意と意欲にあふれていて、自分の力不足を日々実感すると同時に、大変な刺激になりました。背伸びしないと並べないレベルの人たちに囲まれている環境は、成長するために最適だったと思います。すごく鍛えられました。
――大学卒業後は日本を離れてロンドン大学に留学。イギリスでの生活はいかがでしたか?
二村 ロンドン大学修士課程在籍中にコソボ紛争が、2003年にはイラク戦争が始まり、「私は今、交戦国にいるんだ」という緊張感がありました。また2005年に起こったロンドンでの同時多発テロでは、普段使っているルートのバスが標的になりました。そんな中で実感したのは、戦争と武力行使の違いです。「平和の回復と維持のための武力行使」は国連憲章で認められていますが、イギリスやアメリカは武力行使の意義を非常に大きく見ています。また、当時イギリス国民の大半はイラク戦争に反対していたのですが、いざ兵士を戦地に送るとなると、社会全体で兵士をバックアップしました。もちろん、そうした考え方には賛否両論ありますが、「戦争」と「平和」という概念だけでなく、「平和をもたらす武力行使」という考え方があることを理解することは、戦争や平和を考える上で大事かと思いますし、世界情勢を違う視点で見ることができました。私自身も平和や戦争の問題から、武力行使や介入の是非、そして戦争犯罪……というように関心が広がっていきました。
――ロンドン大学博士課程を卒業後は帰国されます。現地に残るという選択肢もあったのでしょうか。
二村 卒業後は、イギリスに残って研究するか、日本に戻るかの二択でしたが、家族など人間関係の基盤がある環境を重視し、さらに日本の社会に何か貢献できたらという思いもあって、帰国しました。
――そして同志社大学を経て、2008年から国連大学で学術研究官に。どのような業務内容なのでしょう?
二村 国連大学は研究教育活動に特化した機関で、世界に14箇所の研究所があります。東京にある本部と研究所では、平和、安全保障、人権、サステイナビリティなどのテーマを扱っており、私は安全保障と人権について研究をしています。2010年からは大学院もスタートしましたので、教員として教育も行っています。
研究に関しては、こちらが主導して行うこともあれば、国連でそのとき議論されている問題についての助言を求められたり、反対にこちらの研究が国連で取り上げられたりすることもあります。普通の研究機関や大学と違うのは、国連の加盟国が問題意識を持っていることについて研究すること。アカデミック・フリーダム(学問の自由)もありますが、国連の活動や政策に直結する研究をすることは職務のひとつです。自分のやっている研究の社会的意義、政策へのインパクトは何なのか、ということはすごく考えさせられます。難しくもあり、おもしろい部分ですね。
――優秀な女性の研究者は数多くいらっしゃると思いますが、女性であるがゆえの「やりにくさ」を感じられたことは?
二村 研究職や大学での勤務は、普通の会社に比べると性差は少ないと思います。いい研究を発表すれば相応の評価が得られます。私はずっと研究畑にいるので、露骨に「女性だから」という扱いを受けたことはあまりありませんが、同僚とふたりで訪問した講演先で秘書・通訳扱いされたり、海外に出張に行って「あなたで大丈夫なの?」というような視線を感じたことはありますね。でも、「女性だからって馬鹿にしないで」と肩ひじを張るのではなく、「しっかり仕事をして認めてもらおう」という意識で取り組むようにしています。
「自分は何がしたくて、
何ができて、何をすべきか」を考える
――学部時代から今に至るまで、意欲的に学び、研究されてきた二村さんですが、目標にしている人物はいますか?
二村 今まで、具体的な人物を目標にしたことはありません。私は「自分は何がしたくて、何ができて、何をすべきか」の3点のバランスを取りながらでしか進んでいけません。憧れる人がいても、能力や環境などが違えば、その人と同じような道は歩めない。そのため、いわゆるロールモデルというのは学生時代からいないんです。他者に目を向けるより、自分と向き合いながら進む先を決めてきたという感じですね。
――「自分は何がしたくて、何ができて、何をすべきか」という考えは、若い読者にとって指標になると思います。ただ、「自分に何ができるのか」を判断するのは難しいことではないでしょうか。
二村 何ができるかは、実際にやってみないとわかりません。だから「とにかく、いろんなことをやってみる」しかないですね。そして「失敗する」。これは自分自身の後悔でもあります。私が国連大学で現在のポジションに就いたのは30代前半ですが、当時、責任のあるポジションだから「もう失敗できない」と思いました。学部時代、留学時代に、あまり守りに入らずに、もっと冒険して失敗しておけばよかったなと。もしかしたら10年後、今を振り返り「あのときはまだまだ失敗できた」と思うかもしれませんが(笑)、責任が重くなるほど失敗したときのダメージが大きくなるので、身軽なうちに失敗の経験を積むことは必要だと思います。
グローバルな場では
柔軟性を持ちつつも、原則を曲げない
――今までを振り返って、どんな失敗がありましたか?
二村 学生時代は、自分の能力不足を突きつけられることが多かったですね。でも、挫折感を覚えるのは、自分が思い上がっているからだと思いました。だから「自分は能力が足りないのだから、ゼロから積み重ねるべく努力するんだ」と気持ちを奮い立たせていました。
仕事を始めてからは、世界中の方と関わるので、文化的・習慣的な違いによる失敗が多いですね。例えば、相手との距離の詰め方です。仕事の協力を仰ぐ際、日本的に「今日は最初だから、まずは挨拶して…」というように段階を踏もうと思っていたら、第一歩から進展しなかった、ということがありました。最初から、こちらの要求をぐいぐいと伝えるべきでした。グローバルな場では、ある程度の押しの強さや自己主張がなければやっていけません。と同時に、日本的なやり方がうまくいくケースもあるので、柔軟に動くのは大切です。
とはいえ、あまり柔軟すぎて、自分自身のスタンスや仕事の内容・質がぶれたり曖昧になるのは良くありません。“柔軟性を持ちつつも、原則は曲げない"という「しなやかさ」と「頑固さ」との間でのバランス感覚を持って、その都度、状況を把握し行動することが大切かと思います。今もこうした試行錯誤は日々続いていますね。
――あらゆる国の方とお仕事をされているとのことですが、万国共通で「仕事ができる人」の条件はありましたか。
二村 みなさん、常識的で、責任感を持っていらっしゃり、気持ちよくお仕事が出来るということが共通点ですね。立場上とても偉い先生なのに、メールに素早く返信してくださったり、学生にも丁寧に対応されていたり、忙しく偉い人ほど小さい仕事もきっちりされる印象です。
――最後に、今後のキャリアプランについてお聞かせください。
二村 国連で働き、平和、貧困、人権、環境などのグローバルな問題を扱う中でいつも感じるのは、教育の重要性です。正しい知識がなければ、現状をきちんと理解しなければ、人間や社会は良い方向に向かって動くことができないと感じます。例えば、子どもや女性の権利の保護でも、彼・彼女自身が「自分たちはどんな権利を持っていて、権利が迫害されたときに何をしてもらえるか」を知らなければ助けを求められないし、権利拡大のために動き出すこともできません。私の専門分野は教育ではないものの、その重要性を感じています。そういう意味では、国連大学で世界各国の学生と関わる機会がある現状は、とても嬉しいですね。今後も研究を続けつつ、そこで得た知識や情報を社会や若い人に伝えていけるような立場にいたいと考えています。
(撮影:今祥雄)