買い物帰りの妻を圧倒的に絶望させる「最後の3m」 夫に手伝ってほしいのでなくねぎらってほしい
妻が、買い物袋を両手に提げて、玄関から入ってきた。そんなとき、夫は跳んで行って、荷物を持っているだろうか。
我が家ははるか以前に、これをルール化した。私が、買い物袋をカサカサいわせながら玄関のドアを開けると、リビングで寛いでいた夫や息子が、跳び起きて、走ってきてくれる。夫が荷物を受け取り、幼い息子が手をさすってくれた。私は、その度に、「この家族のために、何でもできる」と思ったものだった。
共働きで、買い物も料理も、洗濯も風呂掃除も、全部私がやっていたけど、この瞬間にすべてのわだかまりが氷解する。そんな感じだった。今では、誰もルールだなんて意識していないけど、やっぱり荷物の気配を察すれば、2階のリビングから夫や息子が降りてきてくれる。
ルール化した理由は、ここがいちばん腹が立つポイントだったからだ。「ただいま」と声をかけても、夫が寛いだままのうのうとしていると、うんと腹が立つ。アタッシュケースに買い物袋を二つも三つもぶら提げて帰宅した私自身は、1秒も寛ぐことなく台所に立つのに。
腹立たしさを抱えながら台所に立つと、料理をしながら、「私ばっかり」と情けない気持ちになってくる。ついでに「洗濯も、風呂掃除も、このあと、私がやるんだわ」と家事の不公平を数え上げる羽目になる。これは危険だと判断し、「私が帰宅したら、玄関まで迎えに来る」をルール化したのである。それだけはやってほしい、買い物も料理もしないでご飯を食べるのだから、とお願いして。
結果、このルールは、私たち夫婦の結束を固くした。だから、日本中の夫である方に、熱烈推奨したいのである。特に、「家にいる夫」には、買い物帰りの妻を迎えるシーンが多発する。ゆめゆめ、気を抜かないように。
「重くてつらいから手伝ってほしい」のではない
あるとき、テレビのニュース番組の情報コーナーで、「妻の買い物袋を台所まで運んでください」と言ったら、コメンテイターの50代男性に「それは偽善だよ」と言われた。「妻は、ここまでの500mを運んできてるんだ。最後の3mがなんだっていうんだ。そこだけ持ってやったって、意味がない」と。
私は、「いやいや、妻は、最後の3mで絶望する」と答えた。家族のため、重い買い物袋を持って歩くこと自体に、私たちは腹は立たない。「こんなに重いなんて、家族なんていなきゃいいのに。子どもなんか産まなきゃよかった」なんて、誰が思うだろう。
けれど、玄関を入って、リビングで寝そべったまま何もしない夫には絶望する。要は「重くてつらいから手伝ってほしい」のではなく「ここまで500m重い荷物を指に食い込ませながら歩いてきたことをねぎらってほしい」からだ。
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