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名君?暗君?「徳川慶喜」強情だけど聡明な魅力 将軍にはなりたくないのに期待されてうんざり

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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人によって評価が分かれる徳川慶喜。その素顔に迫ります(写真:近現代PL/アフロ)
江戸幕府における第15代将軍にして、最後の将軍となった徳川慶喜。NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、草彅剛氏が好演し、主役の吉沢亮氏が演じる渋沢栄一と肩を並べるほどのインパクトを放って、注目集めている。だが、実際の慶喜については、評価が両極端に分かれがちで、いまだに定まっていない。
旧態依然とした幕藩体制にピリオドを打った名君か、はたまた、無責任に政権を放り出した暗君か――。慶喜の行動は真意を推しはかることが難しく、性格も一筋縄ではいかない。それが、評価を難しくする要因の1つであり、人間「徳川慶喜」の魅力といってもよいだろう。慶喜の素顔に迫る短期連載の初回は、慶喜の生い立ちについてお届けする。

インパクトが強すぎる「敵前逃亡」

臣下を見捨てて、自分だけ生き残ろうと逃げ出した――。これが、慶喜が暗君とされるいちばんの理由といっていいだろう。

慶応4(1868)年、官軍と旧幕府軍が政権の主導権をめぐって、京都で激突。鳥羽・伏見の戦いの火ぶたが切られた。すでに慶喜によって大政奉還が行われていたため、政権は朝廷に返上されていたものの、この闘いの結果次第では、旧幕府軍が巻き返すことは不可能ではなかった。

ところが、慶喜は総大将の身でありながら、戦の途中で大阪城を脱出。あろうことか、江戸に逃亡してしまったのである。リーダーとしてあるまじき敵前逃亡は、あまりにインパクトが強く、大政奉還も「無責任な政権投げ出しだった」と解釈されることとなった。

しかし、肝心なところで逃げ出してしまうところが慶喜にあったにせよ、その一点だけで論じるのは、フェアではないだろう。さかのぼって、将軍になるまでの慶喜が、どんな思いを抱いていたかをみてみよう。

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【幼少期は厳しく育てられた】

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