本当の自己を知るには目の前の仕事に向かうしかない | 個×個 新時代のチーム論 sponsored by 同志社大学

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本当の自己を知るには<br />目の前の仕事に向かうしかない

門井 慶喜
作家

本当の自己を知るには
目の前の仕事に向かうしかない

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2018年5月中旬に東京・京橋で開催された同志社大学トークセッション。今回は、作家の門井慶喜氏をお招きし、「志~ベクトルが向かう先~」というテーマでお話しいただいた。働くことの意義・意味が改めて問い直されている今、我々に真に必要なものとは何か? そのヒントを探った。

新刊、古書を問わず
たくさんの本を読んだ学生時代

――まず、同志社大学を志望された理由は何でしょうか。

門井 父の影響もあり、子どもの頃から歴史、特に日本史が好きで、大学でも歴史を勉強したいと思っていました。当時住んでいた栃木県宇都宮市では、友人の多くが東京の大学を志望していました。しかし、歴史と言えばやっぱり京都。京都の大学と言えば、同志社でした。しかも、あの新島襄が創った、歴史ある大学です。ぜひ同志社で勉強したいと思いました。

――大学在学中は、どのような学び・活動をされていましたか。

門井 1990年、首尾よく文学部文化学科文化史学専攻(日本史)に入学。最初の2年間を過ごした田辺キャンパス(現在、京田辺キャンパス)では、大学内の書店で岩波文庫などを買ってよく読みました。3回生で今出川キャンパスに移ってからは、古書店さんに通うようになりました。とにかく新刊本、古本問わず、いろいろな本を読んでいましたね。

――サークル活動などはされたのでしょうか。

門井 根っからの文系ですが、電気研究会というサークルに所属していました。実は、中学・高校時代はパソコン少年で、自分でプログラムを作ったりしていたのです。当時はパソコンの創成期でしたから、大学にパソコン部がなかった。そこで、唯一パソコンをいじらせてくれる電気研究会に入ったのです。


本を読むことを
自分の人生のテーマにしてもいい

――人との出会いなど、印象に残っているエピソードはございますか。

門井 竹居明男先生(現在、同志社大学名誉教授)との出会いが大きかったと、今になって思います。3回生の時に竹居先生の講義に感銘を受け、竹居ゼミに入りました。ある時、先生がゼミ生を自宅に招いてくださったのですが、家の中に入ると、どこもかしこも本だらけ。その圧倒的な本の量に私は衝撃を受けました。

 しかし、驚いたのは本の量だけではありません。本を読むということを生活の手段にしてもいい。もっと言えば、本を人生のテーマそのものにしていいのだと感じたのです。

 というのも、私の実家は商家で、父は料理会社を経営していました。父は本好きだったのですが、あくまでも趣味として読んでいたように思います。私も同様に読書が好きなのに、なんとなくその思いにブレーキをかけている感じがありました。ところが、本を読むという行為に思い切りアクセルを踏んでいる人が目の前にいる。その意味で、竹居先生には勇気をいただきましたし、ひょっとしたら本を自分の「人生のテーマ」にしてもいいのではないかと感じたのです。

――それが、作家になるきっかけになったのでしょうか。

門井 そうかもしれませんね。もともと小説を読むのは好きで、作家への憧れは漠然とありました。ただ、竹居先生の自宅に伺ったときに初めてその思いが開放され、精神のうえで作家への道を歩み始めたのかもしれません。

 たくさんの本を読んだ大学時代でしたが、不思議なことに、自分で書くということをしたことはありませんでした。どうも、ただ本を読むだけでは作家になれないのではないか。そのことに、大学卒業後、2年から3年が経過して初めて気づいたのです(笑)。そこで、実家に戻って就職し、会社勤めをしながら小説を書くという生活を始めました。


いつか作家になるという
イメージしかなかった

――2003年に『キッドナッパーズ』でオール読物推理小説新人賞を受賞されるまで、数回最終候補まで残って落選されています。当時、不安はありませんでしたか。

門井 不安はあっただろうと思います。大学を卒業してすぐではなく、3~4年過ぎてから書き始めましたが、新人賞に応募すると、わりあい最初から最終候補に残ることができた。そこで気を良くして会社を辞めてしまうのですが、それが人生の間違いの第一歩でした(笑)。

 会社を辞めた後も、応募すると最終選考まで進み、今年こそ行けるのではないか? と思っていると、また落選。結局、それを3回繰り返して、4年目にようやく賞をいただきました。それまでの3~4年間は、非常に苦しかった。あのころ自分に言い聞かせていたのは、「命までとられることはない」ということでした。

――当時ご結婚もされ、生活の負担もあったのではないでしょうか。

門井 結婚3年目に長男が生まれ、同じころ父も亡くなり、ますます自分で自分の首を絞めるような状況でした。ただ、私の人生には必ずそういう時期があるだろう、作家を目指すからには必ず無収入の時期があるはずだと以前から考えていました。それに備えてサラリーマン時代は実家で生活し、あまりお金を遣わず貯金していたのです。これが唯一良い点でした。新人賞をいただいた後も、幸いなことに貯金はまだ残っていましたが。

――作家になれなかった場合のことも、考えることがありましたか。

門井 いえ、まったく考えませんでした。作家になるというイメージしか持っていませんでした。自分のそれ以外の可能性についても、これまでの人生で考えたことはほぼありません。またこれからも、将来書けなくなるかもしれないと不安に思うことはないと思います。


小説を書くことは
一種の「説得術」である

――新人賞を受賞した後、生活は変わりましたか。

門井 いえ、ほとんど変わりませんでした。新人賞は短編の賞であり、新人賞をもらったからといって必ずしも単行本になるわけではありません。新人賞をもらったときには方々からお祝いの言葉をいただきましたが、すぐに黙々と原稿を書く生活に戻りました。

 それでも、受賞自体は大きなこと。出版社が担当編集者を付けて、私が書いた原稿を見てくれるわけです。単行本を出そうという編集者の応援もあり、書いてはチェックを受けるということを続けました。

――その時期は、小説を書くトレーニングにもなったのではないですか。

門井 そうですね。新人賞を受賞したあと、自分の書くもののレベルが上がったと思います。小説の文章を書くことは、いわば説得術です。読者を自分の世界に引きずり込んで、読者の知らない世界や情報を信じさせる。その点で一種の説得術なのです。

 自分自身が信じていない情報や世界を他人が信じてくれるわけがない。そのため、自分がどれくらい自分自身の世界を信じることができるか? が大きなカギとなるのです。そこに深い自信を与えてくれたのが、新人賞だったと今振り返って思います。

――2015年『東京帝大叡古教授』、2016年『家康、江戸を建てる』と立て続けに話題作を出され、直木三十五賞(以下直木賞)候補にもなりました。両作品では惜しくも受賞を逃されていますが、この時はどんなお気持ちでしたか。

門井 1回目は落選しても名刺代わりだと思って、それほど落ち込みませんでした。しかし、2回目は直木賞候補になる前から、本が相当程度売れていました。私の本はビジネス書が売れる書店でよく売れる傾向にあるようで、特に『家康、江戸を建てる』はその傾向が強い作品でした。売れ行きも良く、周囲の編集者たちも今回は直木賞を受賞できると期待していたので、自分もなんとなくその気になっていました。ところが落とされたものですから、落ち込みようは1回目の比ではなかったですね。

 それでも今確実に言えるのは、新人賞に落ちたときの気持ちよりましだということです。新人賞のほうが直木賞よりも、はるかにきつかった。直木賞に落ちても仕事がなくなるわけじゃない。しかも2回も候補になっているので世間の注目度は上がり、決してマイナスにはなりません。しかし、新人賞は受賞して、ようやく作家としてゼロになれる。ゼロ未満のところで落ちる新人賞のつらさは、直木賞の比ではないと思っています。


目の前の仕事に没入することで
自己発見できることがある

――2018年『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞されました。候補選出から受賞まで、どんな気持ちで過ごされていましたか。

門井 この作品も周囲の期待は大きく、本の売れ行きも好調。全国紙5紙すべてに書評も載りました。逆にこれで直木賞候補にならなかったらどうしよう、というプレッシャーがありました。

――本作には、どのような思いが込められていますか。

門井 この作品は当初「宮沢賢治の父」の視点から、父をテーマに書くつもりでいました。私自身も3人の息子がおり、父親という存在について一度書いてみたかったのです。しかし作中で賢治が成長するにつれ、私の気持ちも揺れ始めました。

 賢治は作家を目指しますが、社会的能力はなく何かと父親に迷惑をかける存在。書いているうちに、「そういえば、こんなやつがどこかにいたはず。誰かなあ」と考えているうちに、ふと自分自身のことだと気づいたのです。

 その瞬間から、この作品は父親の話ではなく、「父と子の関係」の話に変わりました。当初予定していたテーマからは変更になりましたが、それはズレではなく、あくまで「テーマの深まり」だと考えました。

 歴史小説を書いていると、時折こうしたことが起こります。しかし、今回の作品は書いていく中で、自己発見があった。その点では、今までの作品と違うと思います。

――書き続けた結果、自己を発見できたということなのでしょうか。

門井 人間は直接自己を発見しようと思っても、なかなかできません。誰にも、自分自身にさえも発見されたくない「自分」が必ずいるからです。本来そういう自分にこそ、真に価値がある。

 しかし、目の前にある仕事に没入することによって、自己発見のゲートが開くことがあるのです。自己を知るには、まず目の前の仕事に向かうことが必要なのかもしれません。


仕事は仕事から生まれる

――門井さんは大変博学でいらっしゃいますが、どのように執筆テーマを固めていくのでしょうか。

門井 仕事は仕事から生まれると思っています。テーマにしても、書きたいことにしても、散歩中や食事中には出てこない。本当に大きなことを思いつくときは、やはり仕事をしている時、原稿を書いている時です。その時書いているテーマとは、まったく関係のないことを思いつく場合もあります。とにかく嫌がらず、机の前に座っていれば何かいいことがあると思っています。

――執筆スタイルはどのようなものでしょうか。

門井 まず早朝4時に起きて、自宅の向かい側のマンションにある仕事場へ入ります。机が2つとパソコン以外は、すべて本で埋まっています。そして、7時ぐらいまで執筆をして自宅に戻り、子どもたちと一緒に朝食を取ります。少し昼寝を挟んで、8時ころからまた仕事場へ行き、執筆を再開します。夜は9時には寝るようにしていますね。

――読書傾向についてはいかがですか。

門井 もちろん作家ですから小説は好きですが、よく読むのは歴史ものです。新書から郷土史、研究書など何でも読みますね。作家で影響を受けた人といえば、森鴎外です。彼の文章に非常に憧れています。一見難しそうに見えるのですが、最盛期に書かれた文章は非常に読みやすく、素直に心を打つものがあります。

 とくに『渋江抽斎』という作品の文章は、近代日本文学史上、これ以上ないほどの名文です。飲み物で言えば、水。水こそ、味わい分けるのにものすごく繊細な舌が必要になります。

門井 慶喜(かどい よしのぶ)
/1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年、オール讀物推理小説新人賞を『キッドナッパーズ』で受賞しデビュー。16年に『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、同年咲くやこの花賞(文芸その他部門)、18年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞

作家の仕事では
自己満足を大事にする

――小説の設定や題材の扱い方について、具体的に教えてください。

門井 私は設定よりも、題材から考えます。たとえば『家康、江戸を建てる』なら、まず土木を書きたいと思い、土木にふさわしい書き方を探すのです。私の場合、方法は後で、題材が先にくるということです。

 『銀河鉄道の父』なら、賢治は親に先立って亡くなっていますので、抒情的に書いたほうが効果的だと考えました。その意味では、論理的に考えるタイプかもしれません。感覚、印象で選ぶことはありません。

――直木賞受賞後、お気持ちに変化はありましたか。作家として必要な心構えとは何でしょうか。

門井 変わったと思います。直木賞を受賞したという自信が、実際に作品の力につながっていっているという自覚があります。こうした変化は、非常に良いものであろうと思っています。

――執筆という、ある種孤独な仕事をする中で、厳しさ、困難さをお感じになったことはありますか。

門井 他人の存在によって満足するということは、まず諦めなければならないでしょうね。とにかく自分の仕事に満足しようと思えば、自己満足しかありません。もちろん読者からの評価はうれしいのですが、それはあくまで結果に対する評価です。今現在の進行している仕事に対して、自分を満足させられるのは自分しかいません。

 その意味で、自己満足をとても大切にしています。特に、作中の場面に最適な言葉を探り当てたときほどの快感はありません。似た意味の単語や接続詞でも、語感から手ざわり、雰囲気、温度などすべて異なりますから。その「快感」を目指して日々書いています。


いつか、自分だけの図書館をつくりたい

――大学時代の経験は、現在のご活動にどう役立てられていますか。

門井 恩師である竹居先生をはじめ、大人同士の付き合い方を教えてもらえたことが非常に役立っています。小説を書く時も、本を読む時も、またその中で歴史上の人物と付き合ううえでも、付かず離れずの関係性が大切だと考えています。

――これからの目標をお教えください。

門井 作家になる夢を果たした以上、次は文豪になるしかありません(笑)。具体的な夢としては、自分だけの図書館をつくりたいと思っています。将来的に、自分の仕事のためだけの一軒家を建てて、プライベート・ライブラリーを置く。そこで、毎日仕事をすることが当面の私の目標であり、夢ですね。