28歳「発達障害」の彼が3度仕事辞めて移る先 家業を継ぐが「影響力を持つ人間になりたい」

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今回の主人公はADHDを抱える加藤大和さん(筆者撮影)
独自のルールを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉スペクトラム症/アスペルガー症候群)、落ち着きがなかったり不注意の多いADHD(注意欠陥・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。
今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、前頭葉からの司令がうまくいかない、脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。
そんな発達障害の当事者を追うこのルポ。第10回目はADHDを抱える加藤大和さん(28歳)。二次障害のうつ病により昨年12月に会社を休職後、2月末に退職。現在は都内と東北地方にある実家を行き来する日々だが、4月からは実家に戻り、家業を手伝う予定だという。

中学まではクラスメイトを見下していた

加藤さんは子どもの頃、自分のことを天才だと思っていた。

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「小学校のテストは常に満点。小学校のテストは100点を取れる人が多いですが、それでも特に自分は勉強ができると思っていました。たとえば、小学3年生で47都道府県を全部言えたので、やたら周りの大人から褒められました。

中学生の頃は釣りにハマり、魚の図鑑を食い入るように読み、たくさん魚の名前を覚えました。学習旅行で水族館に行った際、僕はレクリエーションの係だったので、はりきって非常にマニアックな魚のクイズを出題したら、当然みんな答えられません。そんな姿を『こいつらバカだなぁ』と思って見下していました。今思うとバカなのは僕のほうなのですが……」(加藤さん)

こんな具合だったので、クラスメイトとのコミュニケーションもうまくいかない。そして、衝動的な言動により対人関係でトラブルを起こしたり、手に菌がついているのではないかと気になって手を洗い続けたりしたことから小学6年生のときに心療内科を受診。その際、医者からADHDだと診断された。しかし、自分が障害者だということを受け入れたくなく、中学2年生を境に通院をやめてしまった。

小学生の頃と同じように相変わらず自分のことを天才だと思っていたので、中学でも特に勉強はしなかった。それでも成績は中の上だった。自分の成績ならばこのくらいの高校だろうと選んだ進学校も無事合格。楽しい高校生活が待っているのだろうと思っていたら、ついにここで転んでしまった。

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