それでも三富は、プロレスで食べようとしている。博報堂を辞めて丸2年が経った。慶応大学を出てから丸3年になろうとしている。いろんなことがあった。好きなことを仕事にしてしまったがゆえに、逃げ場がないと感じてしまった時期もある。マイクアピールで語ったように、大好きだったプロレスが嫌いになってしまった時期も。それでも、いつかプロレスで人を振り向かせたいと、彼は前に進む。
プロデュースに活路を見出す
ユニオンプロレス解散後、彼はレスラーやパーソナルトレーナーを続けつつも、団体やイベントのプロデュースに関わっている。冒頭でふれた愛媛県松山市での街コン×プロレスのイベントや、歌舞伎町プロレスなど成果も出つつある。松山でのイベントは大反響で、ご当地プロレス団体誕生の機運が高まっており、その準備も進みつつある。
歌舞伎町プロレスも2016年1月26日に第2回の開催が決まった。プロレス×イベント、地域活性化、企業コラボなどをプロデュースしていくという今までに誰もやったことのない仕事に、選手としてもプロデューサーとしても関わりたいと思い、その一歩を踏み出している。博報堂ではほぼ学んだことがないという彼だが、とはいえそこには大手広告代理店流の仕事術、マインドを感じる。
プロレス界でのし上がるためには、棚橋弘至や飯伏幸太といったスターになるか、高木三四郎のような経営者になるか。それが、博報堂をやめて丸2年で彼が気づいた法則だ。プロレスラーとしてさらに上を目指すものの、他のプロレスラーたちはあまり目指さないであろう、高木三四郎のようなプロレスをマネジメントする、プロデュースする立場を三富は目指している。
いつか、慶応や博報堂といったブランドを超えた全く新しいプロレス×ビジネスが生まれることを期待したい。有名大学を出て、大企業を辞めることはいまや珍しくはない。大事なのはその後だ。
「燃える闘魂」アントニオ猪木は、1999年4月4日の引退試合で、「道」を読み上げた。
プロレスファン以外にも有名な詩である。いつまでたってもたどりつけない地平線、水平線を目指して三富のチャレンジは続く。「好きなことで、生きていく」ための道は、甘くはない。しかし、それでも三富は、そして人は道を進むのだ。
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