博報堂を辞め、プロレスに挑む男が見た現実 「好きなことで、生きていく」のは甘くない

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悩んだあげく博報堂とプロレスを掛け持ちすることにした。会社には内定者時代に相談した。人事には「突然電話があったから、内定辞退かと思ったよ」といわれた。草野球のようなものだと勘違いしてくれたのか、快諾してくれた。博報堂社員であるということを隠し、ユニオンプロレスでプロデビューした。毎年、両国国技館などでのビッグマッチを開催し、テレビ埼玉でレギュラー番組も持っている老舗インディーズプロレス団体DDT系列の団体だ。のちに、両国国技館のビッグマッチに部長を呼んだ。草野球レベルを大きく超える本格的な会場と試合内容に、上司は驚いた。

卒業前に、悲劇が起こった。交通事故に遭い、脚部を粉砕骨折。靭帯も切れてしまった。晴れの舞台となるはずの最後の学生プロレスサミットを欠場。車椅子で来場し、挨拶をした。

2013年4月、博報堂に入社。クリエイティブ系、プランニング系の仕事をしたいと思っていたが、営業局に配属。大手コンビニチェーンなどの担当となった。学生プロレスの実態は文化系なのだが、プロレス=体育会と勘違いされたようだ。

軍隊系のニオイが水に合わなかった

博報堂時代、良い思い出はない。同期との出会いくらいだ。配属先の部署と肌が合わなかった。文化系の社風だと言われる博報堂の中でも体育会系、いや軍隊系なニオイのする部署だった。上意下達的で、人に対する当たりも強かった。仕事も忙しく終電になることもしょっちゅう。トレーニングの時間がとれず、筋肉が落ちていくことも不安だった。早朝や深夜、ゴールドジムに通うことで体型を維持しようとした。ただ、試合との掛け持ちもあり、限界を感じていた。

私は当時のそんな彼から「会社を辞めたい」と相談を受けている。2013年11月のある日、早朝の表参道のスターバックス・コーヒーだった。朝いちばんで原宿のゴールドジムでトレーニングしたあとの三富は、会社をやめてプロレスラーとパーソナルトレーナーになるという方向性について打ち明けてくれた。

私は「博報堂をとことん利用し、能力、経験、人脈を手に入れてからやめるべきだ」とアドバイスした。結局、その後すぐに三富は博報堂を辞めてしまった。

三富が独立した最初の月の収入は6万円だった。博報堂時代から比べると激減だ。大手広告代理店はいまだに給料が高い。持ち株会社の数字となるが、博報堂DYホールディングスの平均年収は1036万円(平均年齢42.8歳)である。三富の在籍時は、入社3年目までは残業代が青天井でつくルールだった。在籍時、月収は額面で50万円を超えていた。同期にはもっと貰っている者もいたぐらいだ。

三富の場合、プロレスのファイトマネーは1試合ごとのギャラ制だ。試合が組まれない月は収入が少なくなる。三富はまだギャラが高いレスラーではない。パーソナルトレーナーの仕事と、貯金を切り崩してなんとかやりくりした。プロレスによる収入は月収の3割以下だ。

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