プレステ初期の躍進を支えた音楽業界の経験 ソニー・コンピュータ、丸山茂雄元会長に聞く(下)

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丸山茂雄(まるやま しげお)
1941年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、株式会社読売広告社に入社。1968年にCBS・ソニーレコード入社、1978年EPIC・ソニーを設立 し、佐野元春、渡辺美里、TM NETWORK、DREAMS COME TRUEなどの有力アーティストを多数世に送り出す。1992年に株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役副社長、98年に同社社長に 就任し、音楽産業の発展に寄与。一方で、93年から2007年まで株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント取締役として会長などを歴任、プレイステー ションを成功へ導く。03年に株式会社247Musicを設立。現在、株式会社トゥー・フォー・セブン取締役、ブレイカー株式会社取締役、株式会社フェノロッサ取締役を兼任。

丸山:もしソニーが戦って、オモチャ屋に負けでもしたらかっこ悪い。だからみんないい顔をしない。それで、機関決定まで行かないわけだよね。機関決定のところまで持ち込めば、なんだかんだとなるけど、そこまで上がらない。

三宅:そうだったのですか。

丸山:それに、久夛良木はまだ課長だったからね。課長の上に部長がいて、本部長がいて、取締役がいて、と当時CEOだった大賀典雄さんまでに何層もある。それを説得するのは大変だろ。

ところが俺はソニー・ミュージックの副社長で、大賀さんとサシで会えるところにいるから、俺を引きずり込めばショートカットで上に持って行ける。何かあれば俺が土曜日でも日曜日でも大賀さんを追っかけ回して、「なんとかしてくれ」と話を持ち込むからね。久夛良木は俺をうまく使ったのよ(笑)。それと、ソニー社内で大賀さんとの間にいる層の説得には徳中さんや伊庭さんを使ったりして、迂回路や変化球をうまく織り交ぜながら進めたのね。

任天堂とは違うことをする

丸山:でも結局、プレイステーションがなぜうまくいったかというと、基本的には任天堂が使っていた製造ラインとか販売チャネルなどのインフラをなるべく使わないようにしたから。任天堂の後を追いかけるだけだと、いつまでたっても追い抜いて前に行けないじゃない。それで、まったく別のことをしたら、めちゃめちゃうまくいった。任天堂は俺らが自分たちの販売チャネルに乗ってくると予想していたのに、全然、違うことを始めたから手の打ちようがない。

三宅:任天堂の販売チャネルはどういうところだったのですか。

丸山:任天堂は昔からのオモチャの販売ルートを使ったけど、俺たちはそれをほとんど使わなくて、遊び終わったゲームソフトを買い取る中古屋に置いたの。

三宅:最初からそこからですか。家電量販店などではなく。

丸山:そう。たとえば、任天堂がマリオを大量に作ったけど、右肩上がりの人気から発売当日に売り切れてしまう。昔のゲームのカセットというのは、CDと違って、カセットそのものがハードみたいなものだから、あれを増産しようと思うと2カ月くらいかかる。そうするとゲーム好きは中古屋に来て、中古のマリオを買う。それなら中古屋に新品のプレイステーションとCD-ROMをどんどん供給するようにすればいい。

三宅:そうか。みんな中古屋に行ってました。自分にも身に覚えが(笑)。

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