下級武士から東京の首長になった男の立志伝 マッカーサー道路を策定した後藤新平の暗闘

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マッカーサー道路はもともと関東大震災後から策定されていた計画だった(写真:northsan / PIXTA)
人口約1300万人、年間予算13兆円超――。日本の首都にして最大の都市である東京都。都内総生産は約94兆4000億円と、その経済力は、世界の小さな国と変わりない。
そんな東京都はトップに君臨する都知事だけでなく、政治家、官僚、技術者、実業家、思想家など、陰に陽にさまざまな人物が築き上げてきた。そのうちの1人が下級武士から東京を創った成り上がりの後藤新平だ。首都の背後に君臨した知られざる支配者14人の暗闘から東京の歴史を追った『東京王』から一部を抜粋する。

今般、日本の総理大臣になるには、東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学といった高学歴が必要条件になっている。もちろん、それだけでは総理大臣にはなれない。ほとんどの総理大臣は世襲議員、つまり祖父、父もしくは義父が国会議員。血縁も日本政界では出世の条件として重視される。

そうした永田町の掟は、今に始まった話ではない。明治維新で徳川治世が終了して、封建体制が崩れ去ると、能力のある者なら誰でも出世ができるようになった。

しかし、それは建前に過ぎない。実際、明治政府内では薩摩藩、長州藩出身者が幅を利かせた。明治政府内で第二勢力とされた土佐藩、肥前藩出身者も数ではそれなりに多かったが、薩長と比べれば就任できるポジションの差は歴然としていた。明治政府で出世するには薩長出身であるか、陸軍・海軍で軍功を挙げるしかなかった。そんな明治政府内において、まったくの徒手空拳ながら政府の中枢まで上り詰めた男がいる。それが後藤新平だ。

異才が集まった内務省衛生局

後藤は仙台藩の下級武士の家に生まれたが、幕末に医者の道に進んだ。福島県で医者として勤務していた後藤は、その才能を認められて内務省衛生局に抜擢された。内務省衛生局は、日本衛生の父・長与専斎が立ち上げた部署で、日本細菌学の父・北里柴三郎も衛生局で働いた経験がある。異才が集まった内務省衛生局だったが、当時は現代のように衛生の概念が市民に芽生えておらず、さほど重要な部局とは思われていなかった。

江戸幕府から明治政府へ政権が移行した直後、東京は荒廃しきっていた。江戸に逗留していた大名たちは、幕府崩壊とともに地元に帰郷。人口は激減して、東京は急速に衰退した。荒廃した東京を立て直すべく、明治政府は次々に策を打ち出す。東京のにぎわいはそれなりに戻ったが、小手先の政策では東京を世界に伍する都市に成長させることは難しかった。

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