関ヶ原の戦い「本当の裏切り者」は誰なのか? 教科書が教えない「小早川秀秋」以外の真犯人
416年前の本日9月15日は、あの「関ヶ原の戦い」が行われた日だ(ただし旧暦)。戦いに勝利した徳川家康は、ついに幕府開設へと突き進むことになる。文字どおり、関ヶ原は「天下分け目の戦い」だった。
この戦いで、当初「勝利は間違いない」と見られていた石田三成率いる西軍は、わずか1日で敗北した。
一般的には「小早川秀秋による裏切りによって勝敗が決まった」とされているが、その裏切りを後押しした「真の裏切り者」の存在はあまり知られていない。「その戦国武将」は、いったい誰なのか。
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本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、関ヶ原の戦いの「本当の裏切り者」を解説する。
関ヶ原の東軍勝利を決めた「一族」とは?
「関ヶ原の戦いは、小早川秀秋の裏切りによって石田三成率いる西軍が敗れ、徳川家康の東軍が勝利した」
一般の人が「関ヶ原の戦い」について知っているのは、こうした見方ではないでしょうか。
たしかに、石田三成率いる西軍が当初優勢という見方も強かったこと、また徳川家康の東軍が小早川秀秋の「裏切り」によって勝利を収めたこと、それらは紛れもない史実です。
しかし、その分水嶺となった「小早川秀秋の裏切り」を誘発した「本当の裏切り者」が存在したことは、あまり知られていません。
小早川秀秋自身、「裏切り」の決断を最後まで迷い続けていました。その小早川秀秋に「裏切り」を最終的に決断させるきっかけをつくった「ある戦国武将」がいたのです。
今回は、関ヶ原の戦いの「本当の裏切り者」について、勝敗のカギを握った「毛利一族」のエピソードを中心にお話しします。
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