関ヶ原の戦い「本当の裏切り者」は誰なのか? 教科書が教えない「小早川秀秋」以外の真犯人

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

関ヶ原の戦いは「日本史上最大の野戦」

Q1. 関ヶ原の戦いはいつ行われたのですか?

1600(慶長5)年9月15日です。ただし、この日付は「旧暦」で、いまの「西暦」に直すと10月21日のことでした。

1598年の豊臣秀吉の死後、台頭する徳川家康に対し、石田三成は密かに家康の排除を目論みます。

ちょうどこのとき、会津の上杉景勝の謀反が報じられ、家康は討伐のため大坂城から出陣していました。石田三成はこの家康の不在を狙って蹶起(けっき)し、全国の大名に参加を呼びかけます。

これが後の「天下分け目の戦い」へと発展します。ちなみに関ヶ原の戦いは、現在に至るまで「日本史上最大の野戦」といわれています。

Q2. 関ヶ原はどんな場所ですか?

現在も東海道新幹線や名神高速道路などが走るこの地は、岐阜と滋賀の県境に近く、古くから北国街道、中山道、伊勢街道など主要街道が交わるため関所が置かれ、交通の要衝でした。

ただ、周囲を大小の山に囲まれた盆地に小さな集落と田畑や荒野が広がる、のどかな場所でした。

Q3. 戦いには誰が参加したのですか?

「徳川家康率いる東軍」は、主に東国の大名を中心に、豊臣秀吉の子飼い福島正則や黒田長政なども含む総勢7万4000。

一方の「石田三成率いる西軍」は、西国の大名が中心で、宇喜多秀家、小西行長、小早川秀秋など総勢8万2000。ちなみに、西軍の「名目上」の総大将は、三成ではなく毛利輝元です。

「剣豪の宮本武蔵が、西軍の宇喜多秀家勢の一兵士として戦った」という逸話も伝わっていますが、これは史実かどうか疑わしいエピソードです。

Q4. どのような戦いが繰り広げられたのですか?

三成による巧妙な采配により、合戦当日は西軍が有利に布陣します。これにより、家康ら東軍は西軍に周囲を囲まれる苦しい戦いを余儀なくされます。

しかし、西軍には家康に内応して戦闘に加わらない大名も多く、やがてよく知られる小早川秀秋の「裏切り」によって均衡が破られると、わずか1日で東軍の勝利に終わります。 

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