撃沈から72年「対馬丸の悲劇」を深く知るQ&A 「子どもら約1500人が死亡」史実に何を学ぶか
72年前の8月22日に起きた「対馬丸事件」をご存じだろうか。
1944(昭和19)年、本土への疎開のため、沖縄の児童約800名を含め、約1800人を乗せた貨物船「対馬丸」がアメリカの潜水艦によって沈められ、児童の9割以上が亡くなったという痛ましい事件だ。
なぜこのような悲劇が起きたのか。どうしてこの事件を語り継いでいかなければいけないのか。それは「日本史」を知ることで見えてくる。
「日本史を学び直す最良の書」として、作家の佐藤優氏が外交官時代、肌身離さず持ち歩いていた「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て40年ぶりに『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計15万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が「対馬丸事件」を解説する。
「対馬丸事件」を覚えていますか?
いまから72年前の1944(昭和19)年8月22日、沖縄からの疎開学童約800人を乗せた日本の貨物船「対馬丸」が、長崎に向かう最中に、アメリカの潜水艦「ボーフィン号」によって撃沈されました。
当時、対馬丸には「学童を含め約1800人が乗っていた」とされていますが、そのうち生存者はわずか280人程度、うち学童疎開者は60人ほどでした。
乗船していた児童のほとんどが命を落とした「対馬丸事件」は、いまなお語り継がれている「戦争の悲劇」のひとつです。
なぜ、1500人もの民間人が亡くなる悲劇が起きたのか。なぜ疎開学童を乗せた「疎開船」がアメリカの潜水艦から魚雷攻撃を受けてしまったのか。
今回は「対馬丸事件」を解説したいと思います。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら