江戸幕府が「鎖国」していたという大きなウソ

歴史研究よりも一歩早い「東大の日本史」

江戸時代の「鎖国」、多くの人が勘違いしているかもしれません(写真:くまちゃん / PIXTA)
当たり前のことのように思える史実でも、違った角度から眺めることで、まったく新しい姿が見えてくる。そうした歴史の多様な解釈を可能とするのも、東京大学の日本史の入試問題の醍醐味だ。『10時間で歴史に強くなる 東大の日本史ワークブック』の著者である予備校講師・相澤理氏に、今回は、学校で教わる「常識」を打ち破った問題を紹介してもらった。

江戸時代に「鎖国」はなかった!?

江戸時代、幕府は鎖国を行って海外との交流を断っていた――多くの人、特に、30~40代以上の方は、小学生の頃からこう習ってきたはずである。

長崎の出島で限られた国とのみ細々と貿易を行ってはいたが、それ以外は完全に外交をシャットアウトし孤立していた。そうした閉鎖性ゆえに、幕末に列強が開国を求めてくると幕府は驚いて慌てふためき、国際情勢に対応できずに滅亡した、そう考えている読者も多いのではないだろうか。

しかし、そんな「鎖国」に対するステレオタイプな見方に真っ向から挑戦したのが、1990年度の「東大の日本史」の問題である。

【問題】
1804(文化元)年、ロシアの使節レザノフは、長崎に来航して通商を求めたが、翌年幕府はこれを拒絶した。次の文章は、この時レザノフに読み聞かせた申渡しの最初の部分である。これを参考として、鎖国下の対外関係について150字以内で述べよ。
我国昔より海外に通問する諸国少なからずといえども、こと便宜にあらざるが故に、厳禁を設く。我国の商戸(商人)外国に往く事をとどめ、外国の賈船(商船)もまた、もやすく(容易に)我国に来る事を許さず。しいて来る海舶ありといえども、固く退けていれず。ただ唐山(中国)・朝鮮・琉球・紅毛(オランダ)の往来することは互市(貿易)の利を必とするにあらず。来ることの久しき素より其いわれあるを以てなり。其国(ロシア)の如きは、昔よりいまだ曾て信を通ぜし事なし。

 

鎖国下の対外関係について問うこの問題に、前段のような知識で答えてしまってはアウトである。解説よりも先に明かしてしまうが、解答例は以下のとおりだ。

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