下級武士から東京の首長になった男の立志伝 マッカーサー道路を策定した後藤新平の暗闘

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縮小

もう一つの柱である幅員の大きな道路整備は、交通・物流を活発化させる効果が見込まれた。それが経済を押し上げる効果があることは言うまでもないが、幅員の広い道路は災害時に公園と同じく火災の延焼を防ぐ狙いもあった。

公園も道路も、平時は都市のインフラとして機能させる。それでいて、非常時には災害対策のインフラとして活用する。フレキシブルな活用を考えた後藤だったが、それには土地買収という、もっとも厄介な作業が待っていた。土地の買収には多額の予算が必要となる。後藤が帝都復興に40億円もの予算を求めたのは、そうした裏事情があった。財政難から予算10億円に縮減されたことで、壮大な復興計画は潰(つい)える。

縮減された予算をもってしても、議会は帝都復興予算が高額であると厳しい批判を浴びせかけた。特に、批判の急先鋒だったのは初代総理大臣・伊藤博文の秘書官を務め、明治・大正・昭和の長きにわたって政界で隠然たる勢力を発揮した伊東巳代治だった。

伊東は「帝都復興の費用を外債発行で賄うことはけしからん」「強制的に土地を収用する帝都復興計画は、徳川幕府時代よりも横暴なやり方」と帝都復興院を攻撃。伊東は銀座の大地主でもあったから、政府が土地を強制収用するとなれば大きな痛手を負う。

伊東の反対には私的な部分によるところも多かったが、それ以上に後藤のプランは予算がケタ外れだったため、周囲から理解を得られにくいものだった。伊東が強烈な反対をすると、高橋是清も同調する。高橋にいたっては帝都復興そのものが不要と断じている。こうして、後藤の目指した帝都復興計画はさらなる縮小を余儀なくされ、最終的に予算は5億円となった。

相次ぐ苦難と悲劇

大幅に削減された予算で、もっとも割を食ったのは道路計画だった。現在、東京都心部には、環状道路が8本建設されている。そのうち、虎ノ門ヒルズの真下を走る環状2号線は、「マッカーサー道路」と別称されることもある。

これは、戦後の復興計画でGHQが環状道路の建設を指示したことが所以(ゆえん)になっているとされるが、実際はまったくの正反対。マッカーサーは日本政府の戦災復興計画を見て、「敗戦国に環状道路は立派すぎる」と環状道路計画に難色を示していた。実は環状2号線は、後藤が関東大震災の復興計画で策定したものだった。

関東大震災から90年以上が経過し、環状2号線はようやく全線開通に道筋がついた。もし、関東大震災の際に巨額の予算を投じていれば、環状2号線は戦前に完成していたかもしれない。

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