下級武士から東京の首長になった男の立志伝 マッカーサー道路を策定した後藤新平の暗闘

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児玉総督下で辣腕を奮った後藤の実力は、中央政界でも知られるところとなる。後藤の政策能力を活かそうとした政府は、日露戦争で権益を得た満洲の経営にあたらせようとした。

政府は満洲統治のために鉄道・港湾・電気・土木・鉱業といった全般を所管する南満洲鉄道(満鉄)という国策会社を設立し、間接支配を試みようとしていた。すべての分野に精通している人材は後藤のほかに見当たらず、満鉄の初代総裁には後藤が任命される。

すでに50歳を越えていた後藤は、満洲という新しい大地にひるむことはなかったが、日本の中央政界で不遇をかこって潰されかけていた若い才能を集めて、その才能を活用することにした。こうして、満鉄には副総裁に中村是公を迎え、そのほかにも将来の日本を担う優秀な人材が集まってくるようになる。特に内務官僚の間では、自己研鑽のために渡満することがステイタスとされた。そのため、若手の内務官僚は渡満を希望する者が多く、渡満することが出世コースになっていく。

満洲でも結果を残した後藤は、第二次桂太郎内閣が発足すると逓信大臣として入閣。中央政界に復帰した後藤は、さらに存在感を大きくしていった。異例の大出世を遂げた後藤は、寺内正毅内閣でも内務大臣に就任。台湾・満洲統治の経験から都市計画の重要性を認識した後藤は、それらを日本にも反映させようと考えた。そこで、後藤は都市計画法の策定に奔走。政局に巻き込まれて大臣在職時に成立を見ることはできなかったが、大正8(1919)年に都市計画法は成立。同法によって、東京のまちづくりは動き出すことになる。

混迷する首都・東京

明治半ばにも東京では市区改正などで都市改造が進められたが、財源問題から事業はことあるごとに縮小させられた。なぜなら、日清・日露戦争の勃発も相まって政府は軍事増強最優先の方針を常に採っていたからだ。内政に財源を回す余裕はなく、事業計画を立てても必ずそれらは削減させられた。まちづくりなど、政府がやる仕事ではない。そんな声さえあった。それだけに、都市計画への理解は薄かった。政治家も体系立った都市づくりを考えず、だから着手されなかった。

そうしたツケが、大正に入ると露呈する。東京は近代国家にはそぐわない“泥濘(でいねい)の都市”と揶揄されるようになり、明治政府が目指した世界の一等国と肩を並べられるような首都ではなかった。

明治時代に100万人だった東京の人口は、わずか15年で倍増。200万人を突破した。東京の人口爆発に陰りは見られず、東京の“カオス”ぶりはさらにひどくなるばかりだった。東京という都市が無秩序につくられていったら、東京は機能不全に陥るだろう。東京が麻痺すれば、遠からず日本は衰退する。それを防ぐためにも、都市計画法が必要だった。

都市計画法が成立したことは後藤の都市計画の理想に一歩近づいたということでもあるが、このときに成立した都市計画法は後藤の理想を完全に具現化できていなかった。都市計画に無理解な政治家たちから横やりが入り、後藤の理念は骨抜きにされたからだ。

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