センター試験(現:共通テスト)の点数は前年よりも振るわなかったようで、千葉大学を受験することに決め、法経学部に合格。大学生活も漫然と送り成績はギリギリ、留年も経験したそうです。
「体育の単位が取れず、半期だけ単位をとって、変則的な夏の時期に卒業しました。変な時期に卒業したこともあり、やりたいこともまったくなかったので就活もしませんでした。今でいうニートをしていましたね」
やりたいこともないまま、5〜6年間はぶらぶらアルバイト生活。千葉を出て名古屋に移り住んでもやりたいことは見つからず、その間にパートナーと結婚。初めて「ふらふらするのを辞めてしっかりしなければ」と思い立ちます。
焼き鳥に夢中になって「雇ってください」と直談判した夜
しっかりした仕事に就くため、いろんな知人に相談に乗ってもらっていた杉原さん。その中の一人に、「焼き鳥でも食いながら話しよう」と連れて行ってもらいます。それが、名古屋の焼き鳥屋「きんぼし」でした。
「仕事の相談に乗ってもらっていたはずなのに、出てくる焼き鳥に夢中になってしまったんです。食べながら知らないうちに笑顔になっちゃって、そこで、自分もこんな焼き鳥を焼けるようになったらいいなと思って、その場で大将に『雇ってもらえますか?』と直接聞いたんです。
翌日の昼間にももう一度雇ってくださいと言いに行って、『まぁまぁ、全然雇うよ、やる気があるんならね』と返事をもらったのでそれから19年間お世話になることになりました」
職人として働く中で、大将から繰り返し教わったのが「目の前のお客さんを喜ばせること」でした。
「よくカウンターの下に座らせられて、『笑え!』と怒鳴られました。指示された仕事をこなすことだけが仕事だと思っていた私に、目の前の人を喜ばせることが仕事なんだと、その対価が料金なんだと、何年もかけて教えてくれました。その考え方は、今も弁護士の仕事の根幹になっています」
焼き鳥屋の仕事をしながら3人の娘にも恵まれました。しかし、妻は出産後に体の不調をきたすようになり、杉原さんが仕事を休んで育児・家事を担う生活になります。
飲食業の拘束時間の長さを考えると、仕事への復帰も、自分で店を出すという夢も、現実的な見通しが立ちませんでした。
「家で悶々としていると、寝込んでいる妻に、交互に泣く子供たちに、恨みつらみが浮かんできます。そんな自分が嫌になって、自分がなんかしないといけないと思うようになりました。せめて、育児しながら何か資格が取れないかなと思い、インターネットで検索しはじめました」


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