そうして口火を切られた戦争は、どのように終わったか。巷間言われるのと違って、実は日本は「無条件降伏していない」とする議論もある。1978年に、文藝評論家の江藤淳が提起したものだ。ポツダム宣言を受諾した際、無条件で降伏したのは日本の軍のみであり、それを国家がまるごと無条件で降伏したかのように(GHQやアメリカが)曲解して、憲法まで作り変えたのは不当だとほのめかすことが、その目的だった(注2)。
実際にはどうだったのか。「日本側の多くは有条件降伏、米国側の多くは無条件降伏と考えていたことは事実であって、「無条件降伏」の「条件」の解釈に幅を持たせることで「終戦」が実現した」とするのが(注3)、歴史家の見解である。
要するに、昭和の戦争は「曖昧さをなくそう」とする発想とともに始まり、しかしぼろぼろになった果てに「曖昧さを受け入れる」ことで終わったのだ。対立する相手には違ったふうに見えているのだろうが、それはそれで諦めるという境地がない限り、平和は訪れないし、維持されない。
太平洋戦争でも逃した「和平の好機」
もちろん戦局が自国に有利なあいだは、自らの解釈のみに沿った講和ができるのでは?とする期待も生まれる。だがそんな情勢になるときには、妥協や引き返しを認めない巨大な世論の渦がすでに作られ、より「完全な勝利」に向けて進もうとする。したがって現実的な交渉はできず、そうした試みはうまくいかない。
1942年2月に日本軍がシンガポールを陥落させた際、対米英開戦に批判的だった元外交官の吉田茂(敗戦後に首相)は、いましか有利な講和のチャンスはないとして、近衛文麿に渡欧を勧めた(注4)。だが国民はむしろ、それまでは戦争に懐疑的だった人も含めて、これで日本の勝ちが決まったとして、もっと多くを求めた(注5)。東條英機政権による弾圧もあり、吉田・近衛の和平工作は未発に終わって、そこから地獄が始まった。
ウクライナ戦争もまるで同じだ。ロシア軍の初動の作戦を挫き、ウクライナの側に勢いがあった2022年3月のイスタンブール交渉の時点なら、「曖昧さ」による講和ができたかもしれない。ゼレンスキーは首都キーウの防衛と占領地の返還を、プーチンはウクライナのNATO加盟の断念をそれぞれ自国民に「戦果」だと誇り(注6)、双方が勝者を自称する形で戦争を終わらせるということだ。


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