転機が訪れたのは2014年。仕事でネパールを訪れていた日本人の妻と出会い、結婚を機に日本にやってきたのだ。
「そのときの日本語力は本当にゼロ。ぜんぜん話せなかった。でも、どうしてか漢字が好きになってね。それに日本語とネパール語は文法が似ているから、単語さえ覚えれば話せるようになるってわかってきたんです」
さすが教師、どんどん日本語を上達させると、気になってくるのは同胞の子供たちのことだ。ちょうどこの頃、日本にはカレー店のコックとして働くネパール人と、その家族が急増しつつあった。言葉や教育に困るネパール人の子供が目立ち始めた時期だ。
「自分もまだ日本語がそこまで理解できてはいなかったんですが、子供たちと一緒に勉強しながら教えられたらと思って」
妻の実家がある兵庫県で教育サポーターとして登録し、ネパール人の子供の横について授業に伴走したり、取り出し授業の教師を務めたりした。
「教えているうちに、ネパールの子供たちの学力がどうしても低い、知識が浅いことが気になったんですね。そこを引っ張り上げるには、ただ教えるだけではなくて、子供たちのバックグラウンド、文化から支える必要がある。そのためにセワ・ソサエティーをつくって、日本語とネパール語を教え始めたんです」
さらに、教育サポーターをしていたつながりから芦屋国際中等教育学校の教師としても正式に赴任。おもにネパールの生徒たちにネパール語やネパールの文化を教えている。インターナショナル・セワ・ソサエティーの卒業生が入学してくることもあるそうだ。あらかじめセワ・ソサエティーで下地をつくってきた生徒は、学校でも成績が伸びていく傾向にあるという。そして進学したり、社会人として働き、この国の一員になっていく。
「就職した卒業生がときどきボランティアとして手伝いに来てくれることもあるんですよ。うれしいですよね」
33万人に膨らんだネパール人社会と「30人待ち」
在日ネパール人社会は膨張の一途をたどっている。プリタムさんが来日した2014年には、日本で暮らすネパール人は4万2346人だったが、2026年6月には33万4850人まで増加した。このうち7万8794人が、配偶者に帯同している妻(ときおり夫の場合もあるが)や子供たちだ。


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