「ネパールの文化で育った子供たちと、日本の文化で育った子供たちがコミュニケーションするんですが、楽しそうだけどお互いになんかわからないところもあるみたいで困ってる(笑)」
まるで外国人同士のようだが、とりあえずここに通ってくる子供たちは生き生きとしていてやたらに元気だ。それは言葉だけでなく母国の文化も日本の文化も学んで、自分というものをしっかり見つめられるからだろうし、居心地のいい場所だからだろう。
「子供たちの居場所をつくりたいと、ずっと思っていたんですよ」
プリタムさんは語る。子供たちの親からわずかな学費を受け取ってはいるが、それも、ボランティアの先生たちの交通費と、家賃とを賄える額ではない。本業は外国人生徒が多い兵庫県立芦屋国際中等教育学校の教師だが、週末をインターナショナル・セワ・ソサエティーの運営に充てる。そんな日々を10年も続けてきたモチベーションはどこにあるのだろう。
「そうですね、はじめは困っている子供たちのためになにかできればという気持ちだったんですが、いまでは自分の人生の一部ですね」
ちなみに「セワ」というネパール語はなんと日本語と同じ、「世話をする」という意味なのだそうだ。
寄宿学校の教師から、神戸の教育サポーターへ
首都カトマンズの南にあるヘタウダ出身のプリタムさんは、母国でも教師だった。
「ボーディングスクールで教えていたんですよ」
ボーディングスクールとは寄宿舎、寮のある学校だ。ネパールではこれが非常に多い。親が海外で働いている子供がたくさんいるからだ。観光と農業くらいしか目立った産業のないネパールでは、インドや中東諸国、マレーシアや韓国、それに日本など、人口のおよそ1割が出稼ぎ労働者として世界各地に散っている。プリタムさんの学校もやはり、そんな親から預けられた子供が多く学んでいたそうだ。


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