日本はインフラの整備で、災害の被害を減らす「予防」に力を注いできた。ただ、造ったものは年を取り、住まいの耐震化もまだ道半ばだ。そのうえで、起きた後に備える「準備」は手薄だった。
その「起きた後」の備えが、動き始めている。今年7月、熊本県で最大震度7の地震が起きたとき、防災庁の中枢を担う内閣府の防災担当が、自ら避難所の運営に乗り出した。トイレと温かい食事を備えた拠点避難所を28カ所に整えた。この経験は、防災庁で必ず生きる。
1995年の阪神・淡路大震災のとき、高校1年生だった私は、神戸の避難所で炊き出しを手伝った。慣れない手つきでテントを張っていると、避難していた男性が「兄ちゃんらには危なくて任しておけんわ」と私たちを押しのけ、あっという間に張り上げた。普段建設現場で働く人だった。
家を失った人も、昨日までは職場や家庭で、それぞれの役割を担っていた。その力が引き出されたとき、避難所の空気はがらりと変わる。
防災庁は「誰よりも現場の声を知る」存在になれるか
どれほど力のある役所でも、1つの役所だけで、すべてを担えるわけではない。だから防災庁は「指揮者」になる。道路を直す人、薬を運ぶ人、避難所を開く人。一人ひとりの音を生かして、1つの曲に響かせる。
指揮者に欠かせないのは、被災した人や被災した自治体の目線に立ち、現場で何が足りなかったのかを誰よりも知っていること。その声を背に語るからこそ、各省庁にも、企業や業界にも説得力を持つ。防災庁には、そんな役所になってほしい。


※ログイン後、コメント入力が可能です。