「動かせたのは目と、まぶたと、表情筋を少し。進行の速さもあって“その先”を想像し、死を望むようになっていったのではないでしょうか」(二村さん、以下の発言すべて)
その先というのは、ALSが進行したことで起こりうるTLS(完全閉じ込め症候群/完全閉じ込め状態)を指す。ほぼすべての筋肉が動かなくなるため、意識や感覚、考える力は残っているにもかかわらず、意思疎通のための手段が完全に失われる。まさに“閉じ込められた”状態になるのだ。
「そもそもSNSを始めたのも、海外で安楽死をするための活動の1つだったようです」
二村さんは映画を撮るにあたり、約1年半におよぶ林さんのTwitterへの投稿とダイレクトメッセージ、約1200件すべてに目を通した。感じたのは、彼女の表現力の豊かさと意志の強さだった。「単純に自暴自棄になって『死にたい』と訴えているのではなく、明確な意図を持って、社会へ告発するかのような書き方をしていた」と話す。
彼女が訴えたかったことの1つが、「耐えがたい肉体的苦痛があるにもかかわらず、そこから解放される術が、今の医療の枠組みの中にはない」というものだ。
当時は胃瘻(いろう)のみで、人工呼吸器は付けないという意思決定をしていた林さん。病の進行の先にTLSがあったとしても、当時の病状は終末期とはみなされなかった。耐え難い苦痛を感じながらも、薬剤によって意識を低下させる鎮静といった手段をとることができなかったという。
「『どうしようもなくなれば楽になれる』と思えれば、先に待っている『恐怖』に毎日怯えて過ごす日々から解放されて、今日1日、今この瞬間を頑張って生きることに集中できる。『生きる』ための『安楽死』なのだ。」(林さんのブログより)
“見捨てられたエアポケットにいるような自分たち”
映画では、林さんと同じALSや、それ以外の進行性の難病を患う人たちも登場している。彼らはリアルタイムで林さんの投稿を読み、程度の差はあれ「死にたい」と思ったことがある自分に、彼女の姿を重ねていた。
「彼らのコミュニティのなかでは、『死ぬことが一番の解放になるけれど、それすらも手立てがない自分たち』を、『死なない生き地獄系患者』と表現しています。そういう(医療の枠組みに)手が届かない、見捨てられたエアポケットにいるような自分たちの存在を、多くの人がSNSで発信し、同時に林さんの投稿に共感を覚えていました」
二村さんがこの事件を映画の題材にすると決めた大きな理由が、まさにここにある。
これまで報道された事件の記事を読み、大久保の裁判を傍聴した二村さんが感じたのは、林さんの強い訴えや彼女が抱いている気持ちに、報道や裁判では十分に触れられていないという点だった。
例えば裁判では、大久保という人物が「いかに異常な考えを持った、倫理観の破綻した人物」で、「死にたいと訴える弱者に近寄って薬物を投与して殺した」という、検察側の筋書き通りのストーリーが描かれていたという。
「もちろんこの裁判は大久保の罪状が問われる場なので、彼の罪に関わる部分が多く扱われます。ですが、これは嘱託殺人なので、林さんがどれだけ死を望んでいたか、その訴えや背景はもっと検証されるべきだったのではないでしょうか」


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