例えば75年の時刻表を見ると、札幌を発車する際は「いぶり」と急行「らいでん」の上目名方面・岩内方面の車両を連結した3本立てで、小沢で同駅から分岐していた岩内線(85年廃止)の岩内行きを切り離し、倶知安で上目名行きと別れ、ここからは胆振線を「いぶり」単独で走破。さらに胆振線の終点、伊達紋別では札幌行き急行「ちとせ」と併結し、室蘭本線、千歳線を経由して札幌に至るという複雑な多層建て循環急行だった。
まさに気動車の柔軟性を生かした、今では考えられないようなユニークな列車だった「いぶり」だが、80年10月に廃止され、胆振線も86年11月に廃線となった。
循環列車は東北地方にもあった。急行「そとやま」は盛岡駅を発ち、山田線・釜石線・東北本線を経由して再び盛岡駅に戻る、文字通り岩手県内をぐるりと一周する循環急行だった。これと逆回りの列車もあり、こちらは急行「五葉」を名乗った。
多層建て列車の宝庫、東北地方
東北地方は多層建て急行の宝庫だった。代表格は「むろね1号」「たざわ1号」「陸中1号」の”3階建て”列車だろう。この列車は仙台を出発して一ノ関で盛行きの「むろね1号」を切り離すとともに、盛からの「さかり」盛岡行きを連結、花巻では宮古行き「陸中1号」を切り離す一方で釜石からの急行「はやちね」盛岡行きを連結……などと複雑な連結・切り離しを行いながら、東北のローカル線を網の目のように結ぶ気動車急行だった。
当時、盛岡を発着する気動車急行は、列車の見分けがつかないほどの同形式・同編成で、筆者は後日の確認の意味で、愛称名の入ったサボをスナップ撮影していたものだ。

